10月のある日、アメリカ人のご一行様と京都観光してきました。
長らくサウスカロライナに赴任していた友人が現地で知り合ったご夫婦を案内をするという企画に便乗。
理由は2つ
◎英語、果たして使えるのか? を試してみたかった
◎友人をフランクな人に変身させてしまったサウスカロライナ人とやらに接触してみたかった
や〜、楽しかったなぁ。
朝9時から夜9時まで。英語漬け。
…ってほどでもないが、そこそこに英語だけで過ごしました。
英語で丸1日を過ごすって海外旅行のときぐらいだし、京都なのに外国にいる錯覚になって、すべてが新鮮に目に映りましたよ。見慣れた風景なのに。
金閣寺 → 銀閣寺 → 建仁寺 → 清水寺 → 祇園で夕食
ザ・観光ルート、自分じゃ辿らないような…。
だけどこれが、どこを切り取ってもキラキラに魅力的な一瞬一瞬でしたね。
自分もインバウンドさんになりきってたかも。
で、懸案の英語ガイドだけれど…
幸いに、とても察しの良い方々で以心伝心かのように言ってることを理解してくださって、
そうなるとこっちも俄然嬉しくなっちゃって、知ってること余さず伝えてみようなんて意欲が湧いてくるのでした。
趣味少なき大学時代の楽しみは京都の寺めぐりだったので…
英語訓練に恰好の場にしていただいた感じ。
好奇心旺盛に大抵のことに興味をもって耳を貸してくださいました。
時々、え⁇ ってなる仏教についての質問を投げてこられて、そういや日本人は深く考えずに「寺を観光してる」よなっと気づいたり。
龍だって、改めて説明しろと言われると厳密なことはさて知らないなぁ…みたいな。
たまたま知ってて答えられたこともあったけれど。
仏像の背後の飾りはハロ(光背)なのか、両脇の人物は誰なんだ、とか。
美術館で読んだ解説の記憶を総動員して、知ってる英語で文章を組み立てる。
なかなか高度な英会話でありました。(私にとっては ^^;)
言葉に詰まったらスマホの自動翻訳機能があるし、
ごった返した観光地で迷子になってもこんなふうにLINEで解決できる時代。
ネイティブ同士のチャットってこんななのね。
途中で集中力切れるかと思ったけど、お宿にお見送りするまで無事に英語を持続できました。
それもこれも、ご一緒した方々のお人柄のおかげだと思うのですけどね。
友人のお友達Debiさんはことあるごとに Emiko,thank you so much today's guide. って言ってくれて、
今日がどんなに楽しくて、安心して観光ができていて、素晴らしい体験ができているか…って、もう、何度となく伝えてくださった。絶対50回は言ってる
そんなに言ってもらわなくたってベストを尽くすつもりだけど、さらに何かできないかなって思えてくるよね。
感謝を伝える波動って物事を良い方向にしか運ばせない。
英語というよりむしろ人としての会話力を学ばせてもらえたな。
聞き上手であることはもちろん、聞いたこと全部を楽しみに変換できる「受け止め心」みたいなものが場の空気を変えるよね。
南部アメリカ人はきっとそれがお上手なんだろな。
この旅がこの方々にとっていかに貴重な機会であるかも伝わってきた。
ただの京都が、遠い異国での一期一会のようにキラキラに輝いて見えた。
気持ちが感染するんだよね。
「旅は誰とするかがとても大切」って知り合いが言ってたけど、ほんとそうだ。
1分だって無駄にせず‘楽しい’で埋め尽そうとする人の時間の密度は濃い。
計画を立てて綿密に段取りしてくれたのは友人夫婦だというのに、
ありがとう、ありがとうと言われ続け、昼食も喫茶も祇園の宴会もご馳走になり。
必ずサウスカロライナに遊びにきてちょうだいとまで言っていただき。
英語って世界を身近にしてくれる。
でも、
今回また思ったこととしては、日本で観光ガイドをしようと思うなら常々から日本文化に真摯に向き合ってなきゃいかんということ。
自国の文化について自分なりの考えをもっておかねば、咄嗟の質問に答えられない。
日本を訪れる外国人は日本人より日本のことを調べている。
南米へのフライトでは、隣席のフランス人が古事記について語り出したもんね。。
それと、英語で意思を伝えられるかも最低条件だよね。
感情や感想だけでなく、事実や考えを盛り込めなくては会話は続かない。
月1回、細々とだけれどすでに6年。ねこ福の英会話レッスンのおかげで、英語に物怖じしない耐性がついてることは確認できた。
継続は力なり。って、ホントだ!
現在継続中の〔英会話経験あり〕クラスは常時満席だけど、
初歩の英会話で過ごすカフェタイムを新たに開いてみようかなって思ったり。
ファシリテーターはわたしだけれど…
そういえば今、建仁寺では葛飾北斎などの精巧な模写作品が調度品かのように展示されてます。
お庭や天井画など見どころたくさん。訪れてみてください♪













