“何故わたしがホロスコープ鑑定なのか”をシリーズで綴っています。
ほぼほぼ父親が悪役として登場するので、
気の毒な気持ちにもなりますが、
事実を語るとこうなるので、致し方ありません。
そのようなことを綴るために時間を費やしたくないけれど、
書かないと伝わらないというジレンマもある…。
健康で気丈だった母を、
パーキンソニズムやクモ膜下出血で寝たきりにしてしまった、
頭の疾患を引き起こした原因は父だと、
どうしても思えてしまいます。
実際は、母の超絶理想主義に起因するエゴも災いしていて
100%父だけを責めるのは間違ってるのですけれど。
父の放つ暴言を聞くに任して暮らした姉もわたしも難聴です。
母の介護をしているうちにわたしは治ったけれど。
毎夜ひたすらに聞かされ続けるディスりは、
ある種洗脳の手法のようでした。
きっと、
「あの“ねこ福じいちゃん”がそんな人だなんて、嘘でしょう?」
「それは家族ならではの被害妄想ですよ。」
っと、思いながら読んでくださった方々もいらっしゃると思います。
そう、
“ねこ福じいちゃん”はキュートで、人畜無害で、仙人のようなひと。
わたしも、お客様の眼に映る“ねこ福じいちゃん”の姿を
その通りだと思っています。
“ねこ福じいちゃん”は、変わったのです。
どうやって?
というところを今日はお話してみようと思います。
父に、
話し相手も、蔑む相手もいない状況で、
究極に自分と向き合ってもらいました。
母を在宅介護していた4年間。
母を自宅介護するのをきっかけに、
父には離れで別生活をしてもらいました。
基本、食事は作って届けるけれど、
専用の冷蔵庫と炊飯器も用意して、
半自炊をしてもらいました。
そもそも、
わたしも父の顔を見るのも声を聞くのも忍耐力の限界でした。
母にも、父から解放されて平穏な日々を味わってもらいたかった。
己の負の感情は己で処理しろ。
それをしないと、この人は変われないっというのが、
子供の頃から父を観察し、考えてきた結論でした。
母亡き後は母屋に戻ってもらいましたが、
わたしを負の感情の捌け口にはさせませんでした。
母が健在だった頃は、そんな強硬姿勢をとると
母にトバッチリが3倍になっていってしまうので、
好きなように言わせておくしかなかったのですが。
いつしか、
被害妄想に苛まれ、
家族を貶めることで自己を確立してきた人の
般若のような、鬼瓦のような人相が、
『ねこ福じいちゃん』とお客様に愛される風貌にまで
変わりました。
自分と向き合うことでしか乗り越えられない、
言い換えれば、
自分と向き合うことで解決できること、
変えられることはある
ということだと思うのです。
父の変貌を見て、
自分と向き合うことの大切さを
改めて確信したのでした。
