自粛生活でロハスな日々を送っているわけですが、
それでも毎日ホロスコープの勉強をしていますよ。
どんなにのほほ〜んとした1日だったとしても
少なくとも30分は知識を詰め込む時間を取っています。
楽しくてやっているというよりは、
学生が勉強するのは役目だと思っているのと似ているでしょうか。
今日は、
2月にホロスコープ鑑定を受けてくださった方のことを最初にお話ししたいです。
山里が冬の早い夕暮れに包まれはじめた頃、
「もう自分を否定しなくて良いんですね…。」
って、噛みしめるように仰って、じっと黙り込んでしまわれました。
自分を肯定する感覚をはじめて味わってらっしゃるようでした。
これまで、それはそれは大変なご苦労をしてこられたようなので、
本当に良かったです。
「そうですよ。」と深く頷いたものの、
自分もその言葉を噛みしめていました。
居るだけで迷惑
自分は災いの素
存在価値なし
と、情緒不安定な親からそう刷り込まれてきた経験が同じだなっと。
(正確には、そう思わされるような経験引き寄せた、ですけど。)
お客様のお話は、ここまで。
自分はもう、
自己否定の観念からは解放されているつもりでいました。
しかし、そういうのって、
理屈で解るだけでは本当の意味では解放されてないんですね。
のほほんと過ごそうとしてみて、分かりました。
自分に寛容に接しようとトライしてたのですけど、
これがかなり難しい。
無理しようとしない自分を
強烈に非難している自分がいるんですよね。
はっきり認識できる観念は、
まだ解決し易いのですけれど、
奥の方に潜んでいる自己批判感も、
滅多なことで気が付けないけど、確実にあるようですね。
ある日、ものすごく嫌な夢を見ました。
自分って最低な人間やなって、目が覚めて、げんなりしました。
あまりにも引きずるので、困ったなと思い、
自分をセッションに来たお客様だと思って、
自分にアドバイスをしてみました。
他人になら、なんて言うかな?って。
現実では夢の中でやったようなことをする筈がない、
理性と断る勇気を身に付けているし
不本意な集団に身を託さないで済む自由が認められている時代です。
スカーンっと身体が軽くなり、心が爽快になりました。
夢を見る前よりも。
この一連の出来事が不思議すぎたので、
自分なりに整理すると↓
自分って、こんなにも自分を蔑み否定する観念を握りしめていたってことかな。
自分にない観念は夢に出てこないかなと。
父のせいでもなく、
子供時代に受けた疎外感のせいでもなく、
自分の中に既にあった感覚、
持って生まれた観念なのだろう。
ホロスコープでは運命をそのように解釈します。
ここまで強烈な自己否定感をひっ提げて生まれてきてたなんて!
そして、観念って、こんなふうに簡単に外れるものなんだなぁ。
呆気にとられる…。
冗談みたいに書いてますけど、
ずっとずっと、10年くらい取り組み続けた
「自分を許す」という感覚が、本当の意味で分かりました。
父親が憎くて憎くてたまらないと
ずっとずっと師匠に訴え続けて、
「自分を許しなさい」
と言われても、さっぱり意味がわからなかった10年でした。
恨みのタネは自分の中にありました。
父ちゃん、ごめんよ。
たまたま夢のお陰で気がつけた自己否定感だったけど、
客観的に捉えることができると、
いつまでもぐるぐる囚われずに抜け出すことができますね。
客観視というのが難しいものですが、
ホロスコープを読む視点が活かせたのかもしれません。
ほぼほぼ感覚の世界のお話でしたが、
「分かる」ってそういうことみたいですね。
夢の中でも父は共犯者でしたけど(爆笑)これはどう解釈しましょうか…

