こんばんは。
今日の『ギャラリーねこ福』、またまた冷え込みました。
大阪市内からお見えになったお客様も 今日は都会も寒かったとおっしゃっていました。
毎年、この時期はもう一度だけキーンと冷えるのですよね。
でも、陽射しは着実に力強くなってきていますから、確実に春は近づいています。
そう思うと この寒さもサラリと受け流すことができます。いや、実際には寒くてつらいですよ、でもこれも一時のことと思えば 大した問題には感じずに済みます。
話題は飛びますが、
満員電車の苦痛をつらつらと並べ立てる友人のことを思い出しました。
実は私も同じ電車を利用していました。
私は、同じ環境でも ちびっと快適な空間を見つけ出すことが 彼女より少し上手だったのかもしれません。乗車口を変えてみたり、乗り込むタイミングを工夫してみたり、時には前後に並んで待つ人の体格や風貌をチラ見して立ち位置を変えてみたり。
見込み通りにうまくいった日は、よしよしということで、ちょっとした満足感に浸ります。もちろん窮屈だし、苦しくもある。
でも、その友人と同じように満員電車への不平不満に満ち溢れていた時代より 気持ちは自由自在に解放されたし、下手に流れに身を任せて押しつぶされることもなくなりました。
聞けば、友人は、職場に近い車両に乗ると決めていると。
私は、人が集まる便利な車両を避けて、階段を下りながら隙間を探して 到着した電車に乗り込むことにしてました。うまくいかない日が続くとルートを変えてよりマシなポイントを探したり。
その手法ができるようになるまでは、やっぱりストレスの塊みたいになって会社に到着し、愚痴もぶちまけていたような。
自分の方が 動きを変える、視点を変えることで、地下鉄御堂筋線の10分はちょっと違う空間へと変貌しました。
見方を変えると、寒の戻りもそう辛くないというのも同じかな、
っということでふと思い出しました。
で、今日の本題です。前置きが長くなりましたが。
2月上旬に訪れたイスラエルという国のことを今日も少し紹介したいと思います。
イスラエルの内陸部に、世界三大宗教にとって共通の聖地であるエルサレルムという古都があります。
前にも少しお伝えしたように、そんなに大きくはない旧市街地の敷地内で、狭い路地で顔をつき合わせながら、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が暮らしています。
観光客には見えない様々な軋轢や画策も当然あるようですが、日常は穏やかに均衡が保たれています。
イエス・キリストゆかりの歴史ある教会の前に佇んでいても、大音量のコーランの放送が否応なしに耳入ってきます。
ムスリムを排除にかかるキリスト教徒が8割を占めるどこぞの国のことを思えば、なんともおおらかな光景です。
「共通の聖地」を巡っても、この三大宗教はなんとか折り合いをつけて互いを尊重しあっているように見えましたよ。
他と折り合いをつけることが、自分の中の平和を保つには必要なことですよね。
そこで、エルサレムの街と地下鉄御堂筋線の混雑が 私の中ではオーバーラップするのです(笑)
不快を相手のせいだと思ってしまうとコンチキショー!って怒りが湧いてきますが、
朝の地下鉄が混んでいるのは仕方がないこと、ぶつかり合うのもやむを得ないと思えたら、違う視点が見えてきますよね。
エルサレムの人はそんな風に暮らしているように見えました。
決して快適そうではないですよ、常に悩みを抱えているような表情が印象に強いですが、穏やかではあります。「悩み」の種はもっと別のことのような気もしますし。
私から見た それぞれの宗教が「共通の聖地」への思いにつけている折り合いとは、こんな感じでした。
「共通の聖地」とは、この場所。
イスラム教のモスク「岩のドーム」が建っている場所です。
大きな一枚岩を覆うために建っているモスクです。この岩が「聖地」なのです。
現在は、メッカに次ぐイスラム教の重要な聖地として立派なモスクが建立されていますが、本来ここが 世界三大宗教に共通の大切な聖地なのです。
意外かもしれませんが、この三大宗教は「旧約聖書」を共通の経典としてしているそうです。
その「旧約聖書」で聖なる場所とされているのがこの場所ということで、自ずとからどの宗教からも聖地とみなされるわけです。
神様に従順なアブラハムという人がお告げに従って愛息を生贄に捧げようとした、まさにその場所なのだとか。
アブラハムは三大宗教にとって信仰のお手本のような人であり、
ここで人間が神様から信頼を受け取った記念すべき場所、
ということで重要視されているのですね。
たまたま、大一次世界大戦までは ここはオスマントルコの征するイスラム圏だったので、この聖地は今もイスラム様式でムスリムの集うところです。
ユダヤ教徒はこの敷地の外壁「嘆きの壁」で、聖地に向かって一心にお祈りをされます。
ローマ帝国に滅ぼされた後長い離散の歴史の中で、いつかは再びこの地にユダヤ人の国を建国すると誓い、祈る場だったと聞きます。
この壁の向こう側に岩のドームが建っています。
今では写真右端に映る木組みの橋を渡れば「聖地」に踏み入ることも物理的には可能になったようですし、実際「イスラエル」という国も念願叶って建国されていますが、
今でもユダヤ人にとっては祈りの場なのですね。
キリスト教は、また別の場所にその「聖地」の教会を建立しています。
ムスリムの岩のドームが見下ろせる丘の上に立つ「昇天教会」に、岩のドームと同じように岩が祀られていました。
キリストがこの岩から昇天していったということになっていると ガイドさんはおっしゃっていました。
本当は、岩のドームが覆っている大きな岩の上からイエス・キリストもイスラム教の教祖ムハンマドも昇天したそうです。
しかし、今その場所はイスラム教の敷地となっているので、代わりに、イエスが十字架を背負い歩かされた起点の場所を教会として、同じように岩を祀っているようです。
旧約聖書のエピソードも重ね合わすと、やはり岩のドームがある場所は天国に通じやすい道みたいになっているのでしょうか。
どの宗教も岩のドームのその場所へ強い思いがあるのでしょうが、
それぞれに折り合いをつけた信仰スタイルをもつことで均衡が保たれている、
そんな印象をもちました。
昔、NHKの紀行番組で、このエルサレムを取材した記者が「三大宗教がせめぎ合うこのエルサレムの問題が解決できたら、世界平和も実現できるんじゃないかな」と所感をつぶやいていました。
それが印象に残っていて、エルサレムを体験しに行きたいっと思い始めたのでしたが、来てみて感じたのは その逆で、
ここがとても穏やかな優しい土地の空気で守られているから、争ってはいけない、奪い合いをしてはいけないと人々が感じ取って、均衡を守る努力をしているのではないかと、
そう感じました。
この土地は特別穏やかな空気が充満しているけれど、世界中どこにも同じようなものは降り注いでいて、それを感じ取ることをみんなができれば争いは無くなるのだろう、そんな風に思いました。
イスラエルの旅で体験してきたことを、旅の仲間4人で報告する会を開催しますよ。
みなさんにイスラエルの魅力をもっと知っていただきたいのが報告会のテーマです。
イスラエルの魅力は様々あります。限られた時間内では色々な角度から足早にエッセンスをお伝えしていくつもりです。
報告会の中では伝えきれないイスラエルの込み入った諸々のウンチクを、このブログの記事にして、ご参加くださる皆さんにイメージを膨らましていただくお手伝いができたらなと思っています。
飽きないようであれば、また次回もお付き合いください。
報告会の詳細はこちらです。皆様のお越しをお持ちしていますよ〜♪
《参加費》 ¥3,500(イスラエルコーヒーとお菓子・お土産付き)
《お申し込み》 お申し込みはこちらです。
ご希望の方は、JR高槻市駅より送迎いたします。
聖地にまつわる謂われは諸説あるようですので、ここで紹介した場所以外にも聖地とされる場所はあるようです。
それだけ長い歴史の中で様々に語り継がれてきたからでもあり、自分の身近な場所を聖地と思いたい 人々の心の表れなのかもしれませんね。


