たとえば陰謀論 | Art of Life | Salima Yuuka

Art of Life | Salima Yuuka

『 Art of Life 』
— 生きることはアート、小さな詩を編んでゆくこと —

キャンドルデザイナー
調香師 アロマセラピスト
書家 灯火器作家

 

 

たとえば陰謀論。

陰謀論そのものや陰謀論者を否定するつもりはない。
けれど、なにか引っかかりを覚えるのは、それを語る人々の中に「自分は知っている、あなたは知らない」という態度をとる人が少なくないこと。

真実を知ることはもちろん大切だとしても、そこには「知らない人」への蔑みが含まれてるように感じられる。
正義を笠に着て自分を上段に置き、権威的にふるまうような。
陰謀論を断罪する側も、同じ構造だろう。

これはわたし自身の中にもある要素で、だから自戒を込めつつ書いているのだけど。

(どんなものであれ、自分の感覚をキャッチできていなければ、声の大きな人に人々は追従するだろう。
どちらでもいいから、断言してくれる人に賛同者が集まる群集心理・・誰かに決めてほしいという)


で、二極化という言葉がある。
どのくらい前から言われるようになったか、スピリチュアル・リーダーたちがを使うようになったよね。
彼らの文脈では「アセンションに伴って人々が二極化する」とか、そんな意味合い。

その二極化とは、「善と悪」とか、「光と闇」とか、「上と下」とか、そういうのを指してるのだろうけど、そういうことを言う人にもわたしは、先の陰謀論者と同じ匂いを感じる。

「二極化」という言葉を使う人は、自分を「光や善の側」に属する者という雰囲気を漂わせてること。
けれど、誰もが光であると同時に闇も内包する存在だと知っていたなら、二極化という言葉を使わないでしょ?
その言葉そのものが分断を生み、強化してるんじゃないか。

わたしたちの生きるこの場所は、「善や悪」、「光や闇」では分かちきれない多層のグラデーションじゃない?
エネルギーが強まるに従い、コントラストがはっきりしてきたり信念が強化されることはあっても、絶対的な二極化などありえない。
ただのプロセスで、そこには上も下もない。

愚者のたわごとですが。

 

 

 

 

 

    
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