「察してほしい」が生む、すれ違い。
~私が4回の結婚で学んだこと~
~私が4回の結婚で学んだこと~
夫婦や家族、恋人同士。
一番近い存在だからこそ、
「これくらい分かってくれるだろう。」
そう思ってしまうことはありませんか?
実は、私はそうでした。
私はこれまで4回結婚し、日本人だけでなく、異なる文化で育った妻たちとも生活してきました。
最初の頃、私が体調を崩すと、食卓には揚げ物や脂っこい料理が並びました。
熱がある。
下痢をしている。
食欲もない。
そんな状態なのに、
「なんでこんなものを出すんだ。」
「体調が悪いって分からないのか。」
私は心の中でイライラしていました。
ところが、その後、
子どもが体調を崩した時のことです。
その時は自分のことではありません。
だから不思議なくらい冷静でした。
私は妻に、
「体調が悪い時は、こういう脂っこいものじゃなくて、お粥みたいな消化のいいものを作ってあげたほうがいいよ。」
と話しました。
と話しました。
妻は素直に、その通りお粥を作ってくれました。
ところが子どもは、お粥を見た瞬間、
「こんなの食べたくない。」
と言って、一口も食べませんでした。
「こんなの食べたくない。」
と言って、一口も食べませんでした。
結局、子どもは普段から食べ慣れている料理を食べていました。
その時、私は初めて気づいたのです。
「ああ、日本のお粥が正解なんじゃない。」
その子にとって、体調が悪い時でも食べ慣れている料理こそが普通だったのです。
つまり、人は文化や家庭によって、「当たり前」がまったく違う。
私の家庭では、
熱を出せば母がお粥を作ってくれました。
ポカリスエットを用意してくれたり、
すりおろしりんごを作ってくれたり。
だから私は、それが当たり前だと思っていました。
でも、妻が育った家庭では違った。
どちらが正しい、間違っているではなく、スタンダードが違っただけだったのです。
今思えば、妻は何も悪くありません。
私が、自分の育った家庭の「当たり前」を、相手も知っていて当然だと思い込んでいただけでした。
そして、もう一つ気づいたことがあります。
自分のことではない時、人は意外と冷静です。
「こうしたほうがいいよ。」
「こんな方法もあるよ。」
と、建設的に話すことができます。
ところが、いざ自分が弱った時になると、不思議なくらい変わります。
「なんで気づいてくれないんだ。」
「なんで分かってくれないんだ。」
そう思ってしまう。
今振り返ると、とても不思議です。
自分では冷静なつもりでも、弱っている時ほど、
人は子どもの頃の安心できた記憶を求めてしまうのかもしれません。
黙っていても母が気づいてくれた。
何も言わなくても用意してくれた。
そんな記憶があるからこそ、
今度はパートナーにも同じことを期待してしまう。
でも、相手はエスパーではありません。
育った家庭も、文化も、経験も違う一人の人間です。
だから私は、元気な時に伝えるようになりました。
「熱が出たら油物はやめてほしい。」
「お粥はシンプルなものがいい。」
「塩は別にしてくれたら、自分で味付けするら。」
最初は忘れることもありました。
でも何度か繰り返すうちに、妻は自然と覚えてくれました。
察したのではありません。
教えてもらったからできるようになったのです。
私は、「期待すること」が悪いと言いたいのではありません。
ただ、
「言わなくても分かってくれるはず。」
「言わなくても分かってくれるはず。」
そう思ってしまうことが、
すれ違いの始まりなのではないかと思っています。
そして、この「小さなすれ違い」を防ぐ方法は、
投資をしている人なら、とても身近な考え方に似ていることに気づきました。
その話は、後編で書こうと思います。