目的がなければ正解も不正解もない | 自然が教えてくれること

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流美農園のブログ

なんだかタイトルが大げさになっちゃいました……汗

これまで家庭菜園のちょっと大きい感じで、
楽しく農園をやっていましたが、
2018年にお店やろうと決めてからは、
品目選びから量から畑での配列から、あらゆることが「目的に合うか」という視点で判断するようになりました。

たとえばマメ類。


種まき労力からいえば、土にちょっと穴ほってまいておくだけでOK。
つる無し種もつるあり種も、別に支柱とかネットとかなくてもマメはできる。
でも、お店で使うことを目的にすると、それでは収穫効率が悪いから、ちょっと工夫が必要だなぁということになる。
一方、体験農園だと、収穫効率が多少悪くても「楽しい」ほうが良い。種類もいろいろ混ぜておくと「これは何?ちょっと形があっちと違うね」など話も広がる。


目的がないと、答えは出ない。

食べるものも、そう。

「体にいい」と一言で言っても、そのが人それぞれ。

Aさんは、知らず知らずのうちに「ファッションとして体にいいとされているもの(ライフスタイルも含めて)」を追っているし、
Bさんは、本来の健康を追っている。

その二人の人がお話すると、「体にいい」という曖昧な言葉をなんとなく共有するから、目的が同じように感じてしまい、答えが出ない。

目的が違うから答えは違うはずなのに、解釈でいかようにも膨らむ言葉を使うと、議論にならなくてお互い疲れたり違和感が残ったり……。

本当は、目的が違うから、Aさんの答えも正解で、Bさんの答えも正解。


食や健康に限ったことではありません。日常生活でも、こういうことよくありますね。あせる



私の実家では、ネコさんが冷蔵庫の上で寝るのは正解。
長くダラリとのびた手を冷蔵庫の扉で挟んでしまうのも正解。ネコ

本当は、冷蔵庫の上で寝てるのではなく、冷蔵庫の下を通りかかる別のねこさんに飛びかかるチャンスをうかがっているのです……クラッカー