野菜は信仰しなくていい | 自然が教えてくれること

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流美農園のブログ



野菜がヘルシーって……
根拠はどこに??





先日から、ゆるーいシリーズものを書いています。


こんな図を使って、




食の本質を導いてみました。
シリーズの最初の記事はこちら>>人・ペット・養殖動物・野生の動物 食べ物の違い



そして昨日の記事では、
私の生活を例にとって、
現代の文化的生活をしながら、
体を「本来の健康」に戻すために、
自然が生んだ生命力をどういうふうに取り入れているか、

ということをお話しました。

自分の生活が正解とも思っていないけれど、
都会に居ながらにしても、自然が生んだ生命力はとれるということをお伝えできたなら目的達成です。


さて今日は、野菜のことをお話しようと思います。

私、10年ほど前に数年間、
かなり厳密に菜食生活キノコをしていました。
マクロビオティックに出会い、
有機野菜と有機玄米のみで暮らしていました。おにぎり

何かを信仰することは、
ある意味心のよりどころになり、
心は安定していました。ニコニコ

でも、数年で菜食はやめました。
それは「パワーが無い」と自分ではっきりわかったからです。
このままじゃ、無気力に向かっていってるな、という感じ。


その後、有機農業をする会社に入ったこともあり、
今でも食事の大半は「野菜」が占めています。
単純に好きです。
でも、あのときの、だんだんパワーが少なくなってきたなという感覚は忘れることはありません。夏バテのような感じがずっと続いてたというか。
あ、でもこれは、私の「感覚」の話ですから……


最近になり、その感覚はあながち間違いではなかったのかなぁとも思います。
それは「人はそもそも何食か?」ということ。
ヒトの食の歴史をずーーーっと遡ってみると、
肉食なのですね。

野菜も採取していたかもしれません。
まぁ野菜というより食べることのできる草、と言ったほうが適切でしょう。

野菜とれる時期が限られますから、はるか昔のヒトの主食にはなりえないのです。
農業がはじまってから、米や野菜が作られるようになり、人の体がそれに対応したのですね。

そもそもが菜食ではないのですから、
野菜を信仰する理由はひとつもないのです。

肉に比べて野菜は、
人が毛嫌いする「脂肪」がないから、
ヘルシーの代表格みたいになってしまっていますが、
どっちも「人が作ったもの」に違いはなく、
食の本質とは関係がありません。



玄米菜食でパワーダウンダウンしたと感じたのは、
消化に負担がかかっていたのだと、推測しています。


タイトルで、
野菜は信仰しなくていい

と書いたのは、

野菜がヘルシーという根拠はないから、
無理に信仰する必要はない、という意味です。
私のように、好きで食べたい人は、あえて避ける必要もありません。
食の楽しみは人生の楽しみラブラブ