この頃は高校生。
30年後の私が何をするかもわからず、受験用の絵を一生懸命描いていた訳で。
そんな、その時に一生懸命だったものは、自分の血肉になっているから、思い切って勉強してきた本や描いてきた絵は、気に入ったもの以外は捨てる事ができました。
あの頃は必死に取っておかないと!と思っていたあれこれも、捨ててもちゃんと私の中にあるからそれをいつのタイミングで引き出すか?というものになったんだ。
形として残らなくても、不安にならない。
私できるから、まあいっか。みたいな。
だからこれが何に繋がるのかななんて、考えずにその時やりたい事を一生懸命してた学生の頃の自分、大正解って今なら思える!
私は本当に、この技術発展の素晴らしさに感動しているんです![]()
だから、デザイナーの仕事奪われるじゃん!とは思っても、AIが敵なんて事は思ってない。
技術の底上げで、形にできない人が形にできる時代になって凄いじゃん!みんな使ったらいいと心から思う!
その反面、AIではなく、本人が持っている技術というのも、めちゃくちゃ光るようになると思う。
やっぱり、手書きで描けたり、手作りのものの素晴らしさがちゃんと光ってくると思うんだ。
結局AIは、みんな使えるようになればそれに慣れる。ハッとするような一点ものはちゃんと魂こもっているから、やっぱりわかる。
だけど、AIに走っても、そのまま手描きを続ける道を選んでも、どちらも良いと思うんだよね。
私も手を動かして粘土を捏ねてみようかなと思っても
AIで画像を作って、色々なものに展開するやり方を伝えたい!と思いつきで思ってみたりして。
粘土もAIも、真逆だけど思いつきでやってみた事。
これも、やってみたけどお客様が来ても来なくても、どちらでも受け入れます。と、思っているの。
何というか、もし申し込みがなかったとしても
空いた時間は粘土をこねる事になったり、多分違う予定が入ったりする。
申し込みが入らなかった事によって、別ルートが出現!みたいな感じ?
後から考えるとそれが今の最善ルートかもしれなかったりしてね!
そして申し込みが入ったとする。
そのメニューをやった事でしか気づかない事があったりして。それはそれで良かったよね、と思うんだよ、きっと。
という訳で、どちらにしろ、何かしら自分に意味のある時間になるのかもしれないと思ったら
どちらでもいいかと思うようになってきたんです。
アラフィフって、もっと落ち着いてじっくり仕事していると思っていたし、毎月一定額お金も稼げていると思ってたよ![]()
だけど、いまだあっちこっちに奮闘している自分も、どうやって生活していくんだ?!と、あらゆる道を探っている自分も、なんだか一生懸命で可愛いじゃん!なんて思ったよね![]()
何も確信ないけど、なんかそのうち形になるでしょう。時間があるということは、そこに意味があるということ。
時がくればちゃんと進む。そしてやった事が何かになって戻ってくる。
ツバメさんもちゃんと春に帰ってきた✨
その人その人で、ここぞのタイミングがあるんだと思う。
それまで、あれこれ頭に汗かいて色々やってみるのも
じーっとゴロゴロ休んでみるのも
どちらもきっと正解なんだろうね!
藤井風さんのこの曲を聴くと、ジーンと、まあいいか。の気持ちになれるよ!









