日本でも、今は鬼籍に入られた哲学者の鶴見俊輔さんの御母堂も「中々」な方だったようだ。
彼の場合は学校が楽しかったらしいが支配的で且つ
「あなたは悪い子だ」
…と言われ続けた『母の居る家』に戻るのが苦痛で
「帰り道、道端に座り込んで
溜息を吐いているような小学生」
…だった、という話を初めて読んだ時には
「ああ、同じような事をやっていた
『子供』が他にも居たんだ?」
…と驚いたものだった。
それでも彼が社会から完全に外れることなく……それどころか社会的にも立派な仕事を成し遂げられたのは彼の父親……というか両親の「家系」の力が大きかったとは思う。
実は私は彼の姉である社会学者だった鶴見和子さんの「家族」に関する話を読んでから彼に繋がって行ったのだが、彼女も「家族」と言うか「母親」に対しては良い思い出が余りないようで生涯独身を貫いておられる。
もっとも、一番の理由は(一人だと)「研究が邪魔されない」ということであり、同時に今で言う強烈な「ファザコン」であったこともあるようだけど、ね。
因みに今の私は鶴見氏の
「私は自分の内部の不良少年に
絶えず水をやって、
枯死しないようにしている」
…という言葉が好き。
いえ、そんなことではなく。
とにかく母は「ヒマ」だったのだろう。
「ヒマ」であると同時に当時の『世間体』に縛られているから、今で言う「パート仕事」のようなものに出る気も無い。
もっともこれは父が居る間は家事以外での外出禁止、という感じだったら難しかったとも思うが、その気になれば田舎なりの季節労働者……それこそ「畑のイモ拾い」みたいなモノでもあっただろうに……とは思う。
(因みに姉も専業主婦時代に声を掛けられ「人参拾い」のバイトをやったらしいが、一日でギブアップしたらしい🤣🤣)
と言って今も昔も居る「家庭を放り出して遊び歩くオンナ」になれる訳でもない……と言うか、母の中で「そういう人達」のハードルはやたら低く、とにかく一歩外に出ると
「楽しそうにしている人達」
…が目に付いて&腹が立って仕方がなく、聞えよがしに愚痴や嫌味を吐くようなヒトだったから、自分が「そういう人達」と同じことをすると同じ事を言われる!……という意識だったんだろうな、と今は思う。
