家族という形に対する試行錯誤 | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

 

  結局、色々考えた私はやはりテキストで

 

 

 

  「まだまだこういう時期なのだから、

 

  『タマ(孫)』の為にも

 

  無理に集まる必要はないでしょう?

 

  気持ちだけ受け取っておくよ」

 

 

 

  …と返すと、しばらくして

 

 

  「そうだね、判った」

 

  …とだけ返って来た。

 

 

  その後我慢出来ず?彼らだけで出掛けたかどうかは私には判らないし、敢えて知る必要も無いだろう。

  

 

 

  因みにその年は本当に「それだけ」で見事に🤣カードもプレゼントも来なかったのだが、その二年程後だったかに「アノ時」の分をやってくれる?と私から言ったことで誕生日に同じ店を予約していたのだが、その時もやはり?この年末年始と同じ

 

  「順番に具合が悪くなって…」

 

 …という理由でキャンセルされ、その後「向うから」言って来ることは無くなった。

 

  だから今後彼らと『〇&〇』へ行くことはもう永遠に無いと思う。

 

 

 

 

 

  その後「マオ」からは私の誕生日には「カード」が送られて来るくらいになった。

 

 

  そのカードも「写真加工」と言うか、手持ちの写真をカードにして相手に贈る……というものらしく、まさに「写真」と印刷された「定型文」だけなので、個人的にはまさしく

 

  「これだけ?」

 

  …という気持ちだった。

 

 

 

  先に書いたように義父母とは必ず「誕生日ディナー」に出掛けている訳だが、それは当然「トリ」の意向だろう。

 

 

  それなのに同じようなことを私にも……とならないのは「マオ」という人間がそういうことを思いつかないアホ(親の顔が見たい!🤣)というダケだろうが、子供がアホなら親が教えてやるしかあるまい。

 

 

  そうだ、ココは

 

 

  「自分から言ってナンボ」

 

 

  「ゴネて騒いで思い通りになったらそれが正義」

 

 

  …の国じゃないか?

 

 

 

  去年、何故か私はそういう気持ちになったのでありました……!

 

 

 

 

 

 

  とは言え、いきなりハードルを上げても逆に向うが面倒臭がると言うか、それは出来ないから「チョコ」でごめんね~、くらいになる危険?もある。

 

 

 

  そこで去年、私は先ず自分の方から「誕生日の御願い」として「マオ」にこんな「テキスト」を送った。

 

 

  「この年になったら

 

  『モノ』より思い出が欲しいから、

 

  『みんな』で食事に行きたい。

 

 

  お店の選択はそちらに任せるから

 

  子供メニューがあって

 

  『9人』で予約が出来るところでね」