改めて思う『リアル・英国人気質』 ④ 似非『完璧主義者』達 3 | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

 

 

 

  とにかく。

  

 

   「これはどういう意味だっ!!」

 

 

   「だから『答』はナンなんだっ!!!」

 

 

 

  日本語の「クラス前日」になるとそう言って

 

 

  「自分が出来ない・やりたくない部分」

 

 

  …を私に答えさせたものを書き写し、それで「100点」を取っては家で自慢する、という事をやり始めた「モト」。

 

 

 

  そんなことをして取った「100点」が嬉しいものか?

   (そも、その「実力」が直ぐバレるだろうに?)

 

 

 

  私はそう考える人間であるから何度も

 

 

  「判らなかったら先生に聞けばいい」

 

 

 …と返していたのだが、「その場限りの薄っぺらい見栄」が大好きな「モト」は例に寄って

 

 

 「家族は協力するものだろうっ!」

 

 

  …という「正当な理由」で喝破するだけだった。

  (「逆」は絶対に許さないのに、ねえ?)

 

 

 

 

 

  しかし。

 

 

  どの国の、どんなレベルの「テスト」であっても、例え「ネイティブ」であっても、

 

 

  「これは(答が)複数あるよねえ?」

 

  とか

 

  「これは(自分でも)ちょっと判らない」

 

  …ということがあると思う。

 

 

 

   私はそれは極アタリマエのことだと思うし、例えば

 

 

  「え~? コレだって正解でしょ?」

 

 

  …と言いたくなるような時でも、添削する方が「不正解」としたらそれまで、例え多少不満があろうとも

 

 

  「そういうこともあるよね~」

 

  …で済ませられる事だと思うのだが、「完璧ボウヤ」にはそれが許しがたいことだった。

 

 

  何より「全部100点」が取れなかった時には

 

 

  「オマエのせいで恥を掻いたっ!!」

 

 

  …と不機嫌満載の態度で帰って来たのだから。

   (その「理不尽さ」に気付く人ではない)

 

 

 

   そんな「100点」が続くプリントを大袈裟なファイルにして

 

 

  「どうだ、凄いだろう?」

 

 

  …とエラそうに見せられても……だろう。

 

 

 

 

  テスト問題に対して私が「こんなの知らない」と言うことも、「先生に聞けばイイじゃない」ということもタブー。

 

  もちろん「日本語力」は全く伸びない。

 

 

 

  私はとうとう

 

 

  「アナタ、それだけの

 

  『実力』があるなら、

 

   もう自分一人で出来るでしょう?

 

  『勉強』にならないのだから、

 

   私に聞かないでっ!」

 

 

  …と「協力」を完全に拒否した。

 

 

 

 

  そしてどうなったか?

 

 

 

 

  「モト」はアッサリ辞めてしまった。

 

 

 

  元々「教室」の中で勉強することは一切なく、毎週ただ

 

 

  「宿題」を出して先生に褒められたら

 

  次の「宿題」を貰って帰って来る

 

 

  …ダケ、そんなのだから「クラスメート」が出来る訳でもなかった(と言うか、そうなれば「実力」がバレるのがイヤだったのだろう)から、意味が無くなったのだろう。

 

 

  その後、「モト」が自分から日本語を学ぼうとすることは「完璧」に無くなったことは、言うまでもない……!