それはただ『本性』が露呈したダケ 6 | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

 

 

  「タオ」の学校が始まったことで私は「社会」に関わるようになった、と言える。

 

  それまでは取り敢えずでも「モト」の言葉が『コノ国の常識』だと納得させようとしていた。

 

  だって私には「留学」どころか、「モト」と結婚するまで「海外旅行」さえ経験無かったし、何より移住以降は「モト」が(今なら鼻で笑うけど)

 

 

  「自分は全てを判っているんだから

 

  オマエは口出しするな!」

 

  …という態度になっていたからだった。

 

 

 

 

   しかし少しずつではあったがコノ国の「ママ友」と触れ合うことで「モト」がやって来た非常識さとはコノ国でも非常識なのだ、ということを「確認」して行った訳だ。

 

 

 

  彼女達から情報を貰い、尚且つ「具体的に」助けてもらうことが出来たから私は別居出来た、と言っていい。

  

  何と言っても私が自立?した「最初の大家さん」はその「ママ友」の一人だったのだから……!

 

  その頃の人達は様々な理由で今は連絡が途絶えてしまったけれども、本当に

 

  『その時に必要で現れてくれた人達』

 

  …だったのだな、と今も心から感謝している。

 

 

 

  過去の話を読んで頂ければ細かい部分は理解して頂けるのだが(参照;「余計なことは言うな」はどっちよ?~)その「2番目の家」の大家さんが賃貸を止めて販売を始めた時に、「モト」が見学に来る人達にイチイチ&ワザワザ『告げ口』をしているのを見た時、ある意味その後に

 

 

  「オマエ達が汚くしているからだ!」

 

 

  …というインネンを言われた時よりも

 

 

  「ああ、コノ人は芯から『こういう人』なんだ」

 

 

   …という「絶望」にも似た気持ちを持った。

 

 

 

   そういう事もあってその家の退居と同時に私は「帰省」という名目で家出をした(もちろん「子供付き」である)……移住後初、4年振りの帰省だった。(注;その前に「モト」は「一人で」遊びに行っている)

 

 

 

  その時点でも既に「別居」の話は出ていたのだが、私には未だ「迷い」があった。

 

   「腐っても子供達の父親」

 

   ……根っから「古い考え」だった私は、その考えから中々抜けられなかったのだ。

 

 

  しかし「家出先」でも思いがけない紆余曲折があって……言わば日本から「疲れ切って」戻ってきた私に、「モト」は期待通り(!?)『トドメの一発』をしてくれたのだった……!