コノ人にとっての『恥』の基準とはなんなんだろう?
…「事件発覚」以来のニュースを耳にする度につくづく思う。
だって、コレですよ。
『順法意識』と言うか、曲がりなりにも「議員」って仕事していた、もっと言えば続けようとしていた人に「遵法精神」が無かったとは、ね~?
(あ、因みに「順法」と「遵法」どちらも正解ですよ)
実はコレに関するニュースは「ライブ」で聞いてまして~。
上の記事はそれでも細かく伝えている方ですが、ライブの時はリポーターの方がハッキリと
「流石の裁判官が声を荒げてしまう時があった」
…と言っていましたからね~!
そりゃそ~でしょ。
バレているダケでも違反12回・免停4回していることに対して先ず
「たくさんでしょうか?」
…と答えることが出来た感覚も信じられないけど、それが
「違反する度に学習して、内容を学んでいた」
…なんて、
「人を殺す度に学習して、
今プロの殺し屋になりました」
…って言っているのと同じだと思いません?
(あ、ちょっとあのオバさんには恰好良過ぎ?)
仏の顔も三度まで
…とは良く言いますが、いやもう「今の私」でしたらハッキリと
『同じ失敗』は二度まで、
三度やったら「馬鹿」確定
(もちろん、商品開発や発明や運動の技などには当てはまりませんよ!)
…であり、それでも『同じ馬鹿』をやり続ける人ってのはもう
「そうするコトが『好き』なんだね?」
…としか思わなくなりましたね。
さて、裁判所がどれだけの判決を出すか、それに対して
「罰を受けることで学習する」
…「らしい」オバさんはどう反応するでしょうか???
