『外国人』であるという日常 | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

 

  全く「今の世の中」だなあ、と思う。

 

 

  動画=SNSという「武器」が一部始終を撮影し、且つそれが一瞬で世界中に配信されたがゆえ、アメリカで……いや、ある意味世界中で「アタリマエ」のように行われ、闇に葬られていた『人種差別』が日に晒される事になったのだから…。

 (実際、あの状態でも警察官の最初の報告書は「医学的異変による容体急変」だったそうだ)

 

 

 

 

  でも私が今回の事件で一番恐ろしいと感じたのは、アメリカに広く、根深く浸透している

 

 

 

  黒人=犯罪者予備軍

 

  …という『無意識の意識』の巨大さだった。

 

 

 

  それは『今』だからこそハッキリした、という部分もある。

 

 

  場面によっての「マスク義務化」が進む中で

 

 

 

  「マスクが無い場合には

 

 顔を隠せるバンダナやスカーフなどで

 

  代用出来る」

 

 

   …という方針は、黒人、特に黒人男性には危険でしかない、という。

 

 

 

 

  その理由は

 

 

 

 

  「強盗に間違われ兼ねない」

 

 

  …妙にすんなり理解出来た。

 

 

 

 

  いや、「マイノリティー」として住んでいる立場なら理解出来る、と言えるかもしれない。

 

  「マジョリティー」なら何でもない事、ちょっとした「不注意」が自分の生死とまで行かなくても快・不愉快を簡単に左右する。

 

 

 

    耳が腐る程だろうが、「マスク」で言えば先ずコノ国の「マスク着用率」は驚く程低い。

 

  「公共交通機関」に乗らねば移動もままならないロンドンなどの大都市なら別だろうが、逆に基本「公共交通機関」が頼りにならない郊外では『今』でさえ「マスク」をしている人達は一人、二人と数えて行けるくらいしか居ない。

 

 

 

 

   それでもぶっちゃけ「白人」なら

 

 

 

  「私はアンタ達と違って

 

  衛生意識が高い人間なんですからね!」

 

 

 

  …というドヤ顔で(例えトイレの後に手を洗わなくても!)堂々としていられるが、「マイノリティー」、それも「東アジア顔」の人間がしていたら、それも何かの拍子に咳の一つもしようものなら、もうその時点で

 

 

 

  「感染症患者が歩いている!」

 

  …と報告されかねない勢いの視線を受けるだろう。

 

 

 

  そこまで行かなくても、例えば細い歩道ですれ違う時一つにしても、お互い何となく分かり合ってそれとなく距離を取るなり黙ってサッサとすれ違える人も多くなったのだけど、気が付いても自分の方はギリギリまで譲らず、こちらもしっかり譲らない(例・特にギリギリそのまますれ違えられるくらいの道幅)となると、露骨に嫌な顔と舌打ちした上でワザとらしく避けたり、すれ違いざまにお上品な悪態を吐いてくれたりする人も少なからず居る。

 

 

 

   そして「そんな人」に出会った時、自動的に頭に浮かぶのは

 

 

 

  「コノ人は、『誰にでも』こうなのか、

 

 

 

  それとも『私』(=見掛け判り易い外国人)だからだろうか?」

 

  

 

   「そんなこと」を一々考えてしまうという事が、自分が『外国』に住んでいるという事なんだろうな~と思う日々……。