前回の話の中で
「オカネになるワケじゃなし…」
…と書いたけど、今回はオカネの話。
ある著名人の話を聞いていて考えていたというか、気が付いたこと。
彼曰く、オカネにも『英才教育』があると言う。
それも株がどうした、金利がどうの、という話では全くなく、子供の頃からの「習慣」をどうするか、というような話。
全面賛成、とは言えないけれども、
「なるほどな~」
…と関心させられたので「お裾分け」(良い日本語ですな~)。
曰く、子供の英才教育には三段階があって…
① いわゆる「お手伝い」などをしても何ももらえない段階
まあ「ありがとう」くらい言われるのは当然ですが(いや、それすら言わない人も一杯いますけどね…)、俗に言う
「カネにはならない」
…という状況。
それはそれで大切なのだけど、「そればっかり」だと
『働いても(働いても)カネにはならない』
…という「無意識」を植え付けることになる、と。
② 「手伝い」をすればオカネになる段階
俗に言う「小遣い稼ぎ」、ちょっと面倒な家事など手伝った時とか、御近所の手伝いをした時などのことですね。これで子供は
『(ちゃんと)働けば、オカネがもらえる』
…ということを覚えて行く、と。
しかしここで彼の面白いところは「それだけでは駄目」と言い放っていること。
①と同じで、ここで止まってしまうと
「働かなければ、オカネは手に入らない」
=苦労しなければ、オカネは手に入らない
…という「無意識」となる、と。
③ 居るだけで、オカネがもらえる段階
難しく言えば「不労所得」ですね。
え~、何それ!?と思った方もいるかと思いますが(私も最初そう思った)、いわゆる「親戚のオジサンが来て」とか「親に何か良いことがあって」……「誕生日だから」「クリスマス(お年玉)だから」「百点取ったから」みたいのは②に入るそうです!……つまり、
「自分は何もしていない=深い理由は全くないけど、何故かオカネが手に入った」
…というようなシーンを「時折」用意してあげないと……
『不労所得』に罪悪感を持つようになる
=真のカネモチにはなれない!と。
②の段階で止まった子供は「不労所得」に罪悪感を持つ、そうして大人になった人間はある意味『自分の価値』を低く見積もっているし、そうした『訓練』を受けていないと「不労所得」があった時には変な罪悪感を抱いたまま横取りされたり、逆に「あぶく銭」としてしか使えなくてそれ以前よりビンボーになったりする、と。
彼の話が偉いと思ったのは①から③まで、全てを持っていなければならない、ということ。
①ばかりでは永遠のビンボー、②ばかりでは仕事=苦労としか考えられなくなる(彼は仕事とは本来「楽しむもの」と言っている)③ばかりではゴクツブシの怠け者になるだけ、と。
…しかしですね。
私の場合、話はここだけで終わらなかった。
話を聞き終えて、関心したのはもちろんなのですが、私が
「ああ、そうだったのか!」
…と思えたのは、私自身の「教育」のこと。
私の家がどうしようもない『毒親』であったことは時折書いていたけど、本当にウチの親……特に母は私にとって『毒』でしかなかった(いや『未だ』完全なる過去形ではないですが…)のだなあ、と。
今回の話に沿って行けば、
① …はアタリマエ。
と言うか「家庭内差別」が如実で、「世間的」に自慢出来る娘であった姉は『お嬢様』(意識的に『(似非)長男』という意識もありますしね)なので家事などはフリーパス(だから今現在の彼女の家が凄いことになっているワケですが)。
その頃一般的であった「女の子の」家事手伝いに加え、仕事上留守がちの父の代理ってワケじゃないですが、いわゆる『男仕事』も何故か私の役目でして。
ま~お陰で下手なオトコよりも力持ちになってしまいましたがな。
いえ、それは良いのですがね。
問題は②と③でして。
特に③でしょうね。
私の場合、
「(自分への)不労所得=臨時収入は『没収』される」
…されるのがアタリマエ、だったのであります。
いわゆる「お年玉」レベルのものも、母は
「貯金しておいて『やる』」
…の一言。しかし、家を離れる時ももらってはいない。
姉のように大学に行ったでもなし、派手な結婚式をしたワケでもなし、だからどこに行った?と思うのですが。
今考えれば姉には同じことをしていないし。
まあ私が初給料の一部を渡した時の第一声が
「アンタをここまで育ててやったオカネなんて、これからのアンタの給料全部渡しても足りないんだからね!」
…だった、という人ですから、もう驚きもしませんけどね。
で、今回の話を聞いて、あの『毒家』から離れてから今までの事を考えると、
「私って、まだまだ『刷り込み』が抜けてないのかな…」
…と考えてしまったんですわね。
それは
「自分が苦労して貯めたオカネは『家族』に横取り(または無駄遣い)される」
…という『刷り込み』=無意識。
いえ、ホント。
なんかね、「モト」との生活を振り返っても、本当のその繰り返しだったな~、と。
私の「持参金(=私の貯金)」があると判ったとたん
「じゃあ、それで(自分の国に)遊びに行こう!」
…となり、「モト」との初旅行が初海外旅行で乳児連れ、ということで
「キミは子供の世話があるから」
…と一人遊び回り、私は義父母宅に缶詰。
その後も
「ボクのオカネは全部ボクのモノ」
「キミのオカネはボクのモノ」(家族は『協力』するべきである!)
…という信念(と言えただろ~な、アレはもう)のもと、ちょっとでも「オカネ」があると知るともうワクワク顔で
『(自分だけの為に)何買おう!?』
…状態だった人……のDNAを120%引き継いで、
「ヒト(=特に家族)の良いモノは自分のモノ」
「ヒトのモノを壊しても自分のせいじゃない」
「ヒトのオカネは自分のモノ」
…のわが娘ゴ……つい最近も、彼女自身の全くの不注意から自転車二台盗まれましたよ、新品の一台は使って一か月にもならない品で……「ホント親の顔が観たい!(と、鏡を見る毎日…(-_-;)……しかし、その態度を助長しているのは、若しかしたら私の「無意識」、
「オカネがあったら、家族に無駄に使われてしまう」
…という『刷り込み』もあるんじゃないかな、と気が付いた午後……!