平日昼間に投稿する
「なんで私たちがこんな山の中に住んでいるのか〜?」を
説明するブログ。
それを説明するには
私のとんでもなかった子育てを書かないと伝わらないので
それをつらつらと昼間のブログで書いています🌸
現在20年くらい前の話です。
一覧はこちら
今回はこのブログの続きです。
長男が転入した病弱児の養護学校(特別支援学校)は
普通の学校と違うところがいくつかありました。
まずは
義務教育中で公立学校なのに
制服がありませんでした。
中学部も服装は自由です。
体育の服装も自由です。
一時的にしか通学しない生徒がいたり
体の特性上みんなと同じものが着れない生徒もいるので
そういった形になっていたようでした。
体育の時などは
女子と男子が分かれて
各自が持ってきた運動着に着替えます。
でも体が不自由で
自分では着替えができない生徒もいます。
そういった生徒は先生が手伝って着替えをさせていました。
着替えには時間がかかる生徒もいたので
体育の授業の前後には
少し時間が設けられていました。
それから
体育で水泳の授業はありませんでした。
学校にプールがありませんでした。
水に入って体を冷やすことが良くない生徒や
手術後でみんなと同じ水に入ることが良くない生徒や
体の変形などで体のラインを見せたくない生徒など
様々な生徒がいるため
体育の授業から水泳だけは省かれていました。
服装は自由ですが
式典だけは正装をするように言われていました。
大抵の生徒は
元の学校の制服を持っているので
式典の日はそれを着ていました。
しかし特に男子は
成長期なため
すぐに用意した制服がきれなくなる傾向があります。
そうすると
家にある比較的正装っぽい洋服を
来てくるようになっていました。
長男は式典の日は
小学校の卒業式で着たものをはじめは着ていましたが
この洋服も徐々に小さくなって行きました。
ある日保健室の先生から帰りのお迎えの時に
声をかけられました。
「うちの子の中学校の制服のズボンがあるけど
長男くん履くかしら?
履くなら譲るわよ。」
私より結構年上の先生でしたが
息子さんの制服を処分するか否か悩んでいたようでした。
「いただきます!」
私は即答しました。
この制服のズボン、
長男が卒業するまで履くことができました。
さらに次男もこの後
この制服のズボンを履いていました。
さらに
この学校が普通の学校と大きく違うところは
毎日連絡帳で先生とやりとりがあることでした。
そもそも半分以上の生徒が
親の送迎だったので
先生と毎日顔を合わすようにはなるのですが
それでも学校で今日あった出来事など
担任が1人1人に伝えるために連絡帳のやり取りが
毎日ありました。
親からも家での様子などについて
連絡帳に書いて子供に持たせるルールがありました。
父兄は
自分の子供の病気や障害、
また いじめや不登校などで
心が傷ついている子供を持つ親ばかりです。
親も子供を学校にあずけるにあたって
心配事は山のようにあります。
そのため
教師と親との信頼関係が非常に重要視されていました。
そのための手段として
連絡帳のやり取りがあったのだと思いますが
それ以外にも
教師と親との信頼関係を作る機会が
年に数回行われていました。
この学校は
保護者と先生との交流行事も盛んでした。
この行事の際
子供達は自分で帰れる生徒は帰りますが
親といたい子は学校に残っていてOKです。
先生と親が一緒に真剣になる行事が行われます。
例えば
先生と保護者が混ざってグループに分かれ
本気でやる風船バレーボール大会。
グループはクジで決めます。
グリープ名をみんなで考え発表し対戦が始まります。
グループ名をいかにインパクトのあるものにするか。
それを決めるだけでも大盛り上がり。
さらにゲームになれば
風船だから力ずくではうまく行かないし
バレーボールが得意不得意が全く関係ない。
運動が得意苦手も全く関係ない。
風船が予想もしない動きをする面白さ。
笑って汗かいて
最後にお茶。
これは本当に楽しかったです。
それから石鹸を使ったお正月飾り作り。
先生だからってセンスが良い人ばかりでなく
全然うまく行かない先生もいて
お互いに大笑いしたり教えあったり。
こういった行事は
教師と生徒の保護者という関係を超えて楽しいものでした。
また年末の校内の大掃除も
保護者と先生で行いました。
こういった交流が
教師と保護者の信頼関係に
大きくつながっていたと思います。
保護者の中には
言葉は理解できていても
病気の後遺症で言葉が全く出せない父兄の方もいました。
手足も不自由でした。
普段は外出をほとんどしないと言うその方も
この学校の保護者会には必ず参加していました。
「ここには来れる」そう言って。
保護者の中には看護婦さんもいました。
自衛隊の方もいました。
フランス料理の料理人もいました。
学校の先生もいたし
建設会社の社長さんもいたし
うちのようにサラリーマンの保護者もいました。
様々な父兄の方がいましたが
学校に足を運べる父兄の方たちは
とても気さくで思いやりのある人たちばかりでした。
(全く学校に顔を出さない父兄も数人いましたが)
私はよく
あるお母さんとお迎え前に待ち合わせしてお茶をして
普通の子育てでは悩みもしないような複雑な悩みを
お互いに話して泣いたり笑ったりしていました。
(この方のことと、この方のお子さんについては、
後に書くようになると思います)
親同士でそこまで深い話ができたのも
この学校ならではだったと思います。
重度の喘息の生徒のために木材を基調に作られ
車椅子の生徒や足の悪い生徒のために全てがバリアフリーの学校でした。
真ん中は先生。


