わけあり家族の田舎暮らし#32 特殊学級 | わけあり家族のお山の暮らし

わけあり家族のお山の暮らし

児童精神科閉鎖病棟入院歴のある長男と
世界的超希少難病の娘と
慢性疾患持ちの次男と
元野犬と元捨て猫との自給自足のシンプルなお山の暮らし。
家族みんなで穏やかに過ごしたい。

平日昼間に載せる

なんで私たちが山奥に住んでいるのか〜?

を説明をするブログなんですが

 

でもそれには

訳ありな私の子供たちについて書かなきゃなので

昔を思い出しながら私の子育てを書いてます。

 

まだ20〜25年前の話です笑い泣き

 

 

一覧はこちら

 

 

 

 

今回は下差しこのブログの続きです。

 

 

 

 

 

 

私はこの頃

発達障害の親の会を立ち上げようとしていました。

 

こんな最中、

よくやっていたなと

振り返って自画自賛😅

 

若かったんですね〜。

 

 

 

私の住む田舎町には

障がいのある

中学生くらいまでの子供がいる人たちの親の会が

ありませんでした。

 

だから絶対必要!って思ったんです。

 

 

 

初めは公民館の1室を借りていました。

 

まずは集まって話をする。

情報共有をする。

1人じゃないって知る。

 

それが目的でした。

 

 

 

でも徐々に会員も増え

親子で集まってイベントなどもしたい、

訓練などもやりたいと思うようになりました。

 

そこで

教育委員会に掛け合って

貸してもらえる広い場所を探しました。

 

保健師に掛け合って

相談者がいた場合は会の紹介をお願いしました。

 

議員さんにも掛け合って

市町村が管理する施設を

親の会のトレーニング施設として

貸していただけるようにお願いし

陳情書・請願書を作成し

議会にかけてもらい許可をいただきました。

 

 

 

これらのお願いに上がる時

学校に行っていない娘と多動な次男を

私は平然と連れて歩きました。

 

教育委員会に

学校に行ってない子を

お菓子やゲームや本を持参で平然と連れていき

交渉をしました。

 

 

いや、今思い出しても本当に大変でした。

知らないことの連続。

まだまだ全然わからない地域名。

全然知らない道路。

よくわからない方言。

動き回る次男。

よく喋る娘。

 

でも自分のためにも

他の悩めるお母さんのためにも

絶対必要だと思ったんです。

 

 

 

お金をかけずに

廃校になった古い学校の校舎を借りることができて

施設を立ち上げると

会員がどんどん増えました。

 

ほとんどは

知的障がいや知的障がいを伴う自閉症の親子でした。

 

しかしそのうち

軽度の発達障がいの親子や

ダウン症の親子も入会してくるようになりました。

 

 

田舎ゆえ、

隣の市町村にもそういったものがなく

両隣の市町村からも

親子が来るようになりました。

 

 

月に1度 会の活動を冊子にして

病院や歯科、役所、整骨院など

各所に置いてもらいました。

 

私の子達をモデルに私がストーリーを書き

漫画が描けた私の妹に4コマ漫画を描いてもらい

毎月の冊子に載せました。

 

この冊子は医師などにもとても好評でした。

 

 


会員たちの大きな悩みは

訓練施設がないこと、

特殊学級(特別支援学級)が極端に少ないこと。

しかも情緒障害の学級が全くないことに集中しました。

 

 

 

そこで私はSSTや感覚統合訓練を学び

その関係で知り合った人と

子供達の訓練を始めました。

 

個別のプログラムを作成して

それぞれの成長の記録などもしっかりつけました。

 

 

 

福祉系大学の生徒さんも

ボランティアで来てくれたりして

長期休暇などは

イベントもよくやりました。

 

新聞紙を部屋中にビリビリして遊んだり

小麦粉粘土で遊んだり

ガラスに石鹸の泡で絵を描いてみたり

大きな模造紙に手足を使って絵の具でみんなで絵を描いたり

みんなでご飯を作って食べたり

 

お父さんも参加してくださって

毎回とても盛り上がりました。

 

 

 

訓練で使うものはできるだけ手作りしました。

大きなものに関しては

さまざまなところが出している助成金に応募し購入しました。

 

この助成金の申請も

非常に面倒くさかったです。

お金をいただくことって本当に大変でした。

 

 

それ以外の

事務用机、電子レンジ、ガスコンロ、ストーブ、

パソコン、布団、などは

いらなくなったものを寄付してもらって活用していました。

 

とにかくお金をかけないで

施設の運営ができるように活動していました。

 

 

 

 

地域になかった情緒障害学級も作りました。

 

新たな学級を作るには

専門知識とモデルとなる教室案と予算案が必要で

少し離れた大きな市の情緒障害学級をいくつも見学して

その報告書と教室のデザイン、予算、

入級を希望する児童の氏名、親のサインなど

教育委員会に提出するものが山積みで

やることは山ほどありました。

 

さらに見学した先の先生からのアドバイスで

ADHDと自閉症の児童の教室はできるだけ分けてほしいなど

要望書の作成などもありました。

 

学級が出来上がった際には

地元新聞にも大きく取り上げられました。

(私の子供たちはこの学級には入級しませんでした)

 

 

 

この会の運営で私に収入があったわけではなく

これらの活動全てはボランティアでした。

 

 

 

このように会はそこそこ大きくなっていきましたが

ある日突然

次男の体調が悪くなりました。

 

次男の体調については後に書きますが

このことをきっかけに

会を他の方に運営してもらう形になりました。

 

その先、私は会に関与していません。

今はこの会は徐々に縮小しました。

 

 

親の会で借りていた廃校になった学校と次男

 

 

この頃から少しずつ

インターネットが普及し始めました。

 

そして

今では大きくなった

ADHDの会の「えじそんくらぶ」などが立ち上がり

それが全国に広がっていきました。

 

 

小さな田舎町で

まだ本当に何もない時代に作った小さな地元の親の会。

 

そのファミリー感が私は好きでした。