わけあり家族の田舎暮らし#31 学校に行きたくない | わけあり家族のお山の暮らし

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児童精神科閉鎖病棟入院歴のある長男と
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元野犬と元捨て猫との自給自足のシンプルなお山の暮らし。
家族みんなで穏やかに過ごしたい。

平日昼間に載せる

なんで私たちが山の中に住んでいるのか〜?

を説明をするブログ。

 

でもそれには

私の子供たちについて書かなきゃで

その子供たちが1人1人訳ありなんです〜ってことを

私の子育てを振り返りながら書くブログ。

 

もう30回を超えると言うのに

まだ20〜25年前の話を書いてます笑い泣き

 

 

一覧はこちら

 

 

今回は下差しこのブログの続きです。

 

 

 

 

 

あ、でも今回は娘の話なので

この下差しブログの続きになるのかも🙄?

 

 

 

長男が若干落ち着いているのに

 

次男のオムツ執着と母乳執着。

 

さらに

娘の障害発覚やおかしな症状の出現。

 

次から次へ…という状況で

やっぱり始まった娘の

 

「学校に行きたくない」

 

 

 

 

長男は幼稚園や学校に行きたくないと

言葉には出さないけど体に症状が出て

 

 

 

 

娘は元々幼稚園も好きじゃなくて

 

 

人より何倍もいろんなことが体に響いて

 

 

算数が全然わからない。

 

 

そりゃ学校も好きじゃないよね〜

行きたくないよね〜

 

 

そうくるよね〜と推測できていました。

 

 

 

それに

何を隠そう

私自身も学校に行くことが嫌な時期がありました。

 

理由は娘と同じ、

学校に行くと体調が悪くなるから。

 

ちょうど新築2年目の学校に転校した年でした。

 

給食の匂いがしてくると腹痛が出て吐き気がして

給食の時間にはそれがマックスになり

給食を1口も食べられなくなりました。

 

今思えば

おそらく私も娘と同じ遺伝子を持っているので

成長期に同じような症状が出ていたんだと思います。

 

給食になのか

食器になのか

何に対しての症状かはわかりませんが

冷汗が出てお腹が痛くて吐き気がして

4時間目の終わりごろから

給食の匂いがしてくるだけで

本当に辛かった…

 

 

病院ではなぜか末期がんと言われ

検査で緊急入院になりました。

 

遠くの親戚までがお見舞いに来て

何事かと私は思っていました。

 

結果的に私は癌ではありませんでした。

でも体調不良の原因は不明でした。

 

 

でもその時に

私の母は登校を無理強いしませんでした。

 

退院してからも

学校に行きなさいとは言いませんでした。

 

でもちゃんとその後

私は学校に行けました。

 

 

 

 

だから娘が「学校に行きたくない」と言っても

無理強いはしませんでした。

 

 

「学校に行きたくない」と言う娘に

 

「そうか。じゃ、行きたい授業だけ行こうか」と提案。

 

 

今日はプールがあるよ。

プールだけ行こうか?

 

今日は図工があるよ。

図工だけ行こうか?

 

今日は道徳があるよ。

道徳だけ行こうか?

 

 

そんな感じで

娘が行きたいと思う授業だけ行かせて

お迎えに行きました。

 

だから基本的には

週に3日くらい登校。

 

でも遅刻+早退という形。

 

勉強は家でやらせていました。

登校し始まった時に授業がわからないと

また行きたくない理由が増えてしまうから。

 

 

 

1〜2年生の間

娘はそんな調子で

好きな時にだけ学校に行くという生徒でした。

 

 

そして

2年生の間に

徐々に国語など得意科目の授業にも出させるようにして

登校時間を増やすように促し

「学校」という環境に慣れさせていきました。

 


 

先生も

おそらくそんな勝手な親に困っていたかもしれません。

 

他の生徒がどう思っていたかもわかりません。

 

でも1〜2年生のうちは生徒たちも幼いので

特に何と言うこともなく

 

担任も

特に他の親御さんにこのことを言うわけでもなく

 

そう言う登校形態をOKしてくださる先生でした。

 

 

おそらく私と同じ歳くらいか

少し年上の先生だったのではないかと思います。

 

 

まだ不登校という言葉がない時代で

登校拒否という形と捉えられていました。

 

 

まぁ、娘の場合はちょこちょこ行っていたので

不登校ではないのかもしれませんが。

 

 

砂遊びをする幼いころの娘。

家の周りの田んぼに水が入り空が映りこむ季節。