60年余り連れ添った旦那さんを
先月亡くしたという投稿を読んだ
60年か・・60年・・60年・・
しばらく呆然として動けなくなってしまった
私が夫といられた月日の倍以上
今まで夫と過ごしてきた日々を折り返しても
まだ余る月日・・
もしも60年も一緒にいられたら
どんな未来が待っていたんだろうと
ぼんやりとあれこれと思いめぐらし
失ったものの大きさがドーンと
押し寄せてきた
愛する人と60年も一緒にいられた人と
私との違いは一体何だったんだろう
どこが違ったんだろうか
何か間違えたんだろうか
考えても仕方のないことだけれども
考えずにはいられなかった
その方の旦那さんは
「ちゃんと見守っているよ。」
との言葉を残してくれたらしい
「その言葉があるから前向きに生きて
いける。最期には大好きな人に逢える
と思っているから幸せ。」
と結んでいた
私の夫も急死ではなかったから
言葉は残してくれてはいる
でもその言葉があるから幸せなんて
とてもとても思えない
むしろ苦しい・・
まだまだ生きたかったのに
まだ未来をたくさん夢見ていたのに
あの年で最期の言葉を残すことになるなんて
どんなにつらかっただろう
どんなに悔しかっただろう
どんなに無念だっただろう
と思いを馳せてしまう
だから
夫が残してくれた言葉があるから幸せ
なんて思えるどころか
むしろ
夫の言葉を思い出すと
夫の無念の思いが心に迫ってきて
胸が張り裂けそうになってしまう
最期には夫に逢えると思ってるから幸せ
と思えるなんて本当にうらやましい
でももしも
平均寿命が120才なんて時代で
寿命まであと30年も40年もあったとしたら?
同世代の夫婦が
近所をたくさん歩いていたら?
同じような境遇の人が
周りにほとんどいなかったら?
長年連れ添ったからこその
喪失感は大きいと思う
愛する人を亡くした悲しみは
同じだと思う
けれども
寿命だから仕方がないよね
と思えるかどうかは大きいんだろうな
生まれる前から寿命を決めてくる
なんて聞いたことあるけれども
なかなかそれは信じられない
若くして亡くなっても
それが最初から決まっていたんだよ
寿命だったんだよ
と納得できれば楽なんだろうけど
そもそも平均寿命なんてあるから
それまでは当然生きると思いこんで
しまっていたから
そのギャップに苦しむことになった
明治・大正時代の平均寿命は
43歳だったらしい
こんな思いをするならその時代に
生まれたかった
その時代に今からでもワープしたい