伊藤姉妹クリックで龍神様の光
五分間受け取っていただけます
まだまだ月光の濃いお空に願いをこめて
嫌われることを受け入れる。
そんな記事を書きました。
なんとなく続いてみます。
<嫌われるかもしれへん>
って思っても、これが私って表現する。
嫌うひとは嫌っていいよ。
私はこれでいくから。
これがいまの私なの。
何度も、
自分宣言。
それは、私を嫌う人を見るんじゃなく
好きなことをしている私を見る行為。
そうしたらね、
それをしている私を
見てくれる人が現れる!
ぽ(嬉)ありがとう。
完璧主義が発動し始めると、
たとえ満点を出せたとしても
いやいや審査員の体調が悪かったんじゃないかって
満点にすらケチをつけるような私たちだから(笑)
その都度、手放していこう。
間違うことでしか
分からないこともあるから。
で、本題。
天音らんというシンボルを嫌う人たちに
一生懸命エネルギーを注いでいましたが
その人たちに<関わらない>ようになりました。
「天音らんというシンボル」
という表現を使いましたが・・・
実際の私と、観られている私や、役割の私は
イコールではないことを知っているからです。
44歳で代表にさせられました
実際の天音らんは、旦那さまが、
産後デブで超ぶさいくな私とか
(それでも可愛いと勘違い中、笑)
そこまで曝け出すかってほどに
そのまんま日常をだだ漏れさせているので
実際の私は何も隠してはいないんですが
それでも、お見せできている部分は
一部分でしかありません。
だから<天音らんというシンボル>
なのです。相手の世界の中に、
相手にとっての<天音らん>がいる。
それは良いことでも悪いことでもなく
そういうもん、です。
これが例え家族だとしても
表面的なコミュニケーションでは
自分を投影させたままになってしまい
相手のことは何一つ分からないのです。
このことを踏まえた上で「私」は
自分の世界に嫌いな人が現れたら
ラッキーチャンスだと受け取ります。
だって、投影ですからね。
私が勝手に、その人の側面に
「嫌い!」って反応するだけ。
本当に私が嫌った何か=その人
であるかは、分かりません。
全ての「私」を愛すると決めています。
私の世界に現れるものは、全部「私」。
嫌わず、分離せず、繋がりを求めます。
嫌いっていうエネルギーを、
自分の世界に存在させない在り方。
だから、
私の世界に現れてくれた人に関しては
とことんまで関わります。
ただ、私は依存しないし依存できないので
こちらにアクセスしてくれたら、の話です。
この場合の「依存するしない」って
ちょっと難しいんですが、
「依存しないし依存できない」のは
「私が私であるために相手を必要としない」
という意味。これは旦那様に対してもです。
「あれやってこれやって」
できないことをやってもらう
物理的な依存については
できる私に変容しまくっていますが(笑)
綺麗事を書きたいわけではないのです。
ものすごく自分勝手で
独りよがりな世界観について
さも凄いことのように語っているだけです。
<関わらない>を選択する以前の私は、
関わり続けることを選択していたので、
しかも「嫌われなくなかった」ので(笑)
私を好きでいてくれる人より
私を嫌っている人を優先する傾向があり
「いま相手が私を嫌っていること」を
なかなか受け入れられずに
「大丈夫だよ、好きだよ、怖くないよ」
伝わらず堂々巡りになることが多かったのです。
そうです、暑苦しくて傲慢なのです。
おまけに怖がりだし泣き虫だしすぐ怒るし。
「大丈夫だよ、好きだよ、怖くないよ」
人に伝え続ける人生を選ぶなんて、
どんだけ臆病で疑い深い性格なのかって話(笑)
自分がどうしようもなくお節介なのは
100も承知ですから
自分の世界に入ってこない人には
何もしないし何も言わないし
聞かれたことにしか答えません。
その上で、とことんまで関わります。
私に関わってきてくれたら、関わる。
あなたを絶対に見捨てないし、
私は全力であなたを愛します。
<関わらない>という選択を知らず
相手に嫌われていることが
受け入れられなかった当時の私は、
自分から私の世界に入ってきたのに
私のことを嫌いだという人に対して
「大丈夫だよ好きだよ怖くないよ」
延々とやり続けていたんですよね。
私が関わらなくなった人たちは
私のことを嫌ったのだとは
今も気づいていないのかもしれません。
好きでいてくれるのは知っていたし、
私もその人たちのことが大好きでした。
優しくて慈悲深い人たち。
できることならずっと関わっていたかった
私にとっても大切な人たちでしたから。
<天音らんというシンボル>
愛し続ける者であり、
関わり続ける者であり、
変化し続ける者であり。
生命の種、目覚め、開花の力、探究心。
どこまでも本質という光へ潜っていくのが
<天音らんというシンボル>なのです。
本質の光。魂の光。そこには、
絶対に感じたくない感情がありますし、
絶対に知りたくない大嫌いな自分がいます。
あなたはその自分のことが
愛せないし許せないので見たくありません。
<天音らんというシンボル>は、
それらを浮き彫りにします。(迷惑だね、笑)
だって私は
どこまでも醜い自分を
愛し許し受け入れてきたし
誰のせいにもしないし
自分で世界を創っているから。
私が関わらなくなった人たちは、
私を愛したかった人たちなのです。
自分を愛するよりも私を愛そうとした。
とてつもなく良い人たちで
素敵な人たちだったから
関わらない(優先しない)という選択は
とてもとても勇気が要りました。
でも自分に嘘がつけなくなってしまった。
嫌われることを受け入れるというのは、
親離れでもありますね。
私のことは、私が愛するから大丈夫。
私であるためにあなたを必要としません。
懐かしいエネルギーですが、
今でもとてもパワフルですね。
週末はオープンヒーリング。
月末はセクシュアリティワーク。
ずいぶん景色が変わりましたけど
穏やかな日々はいつも同じ。
みなさまお元気ですか?


