ラーメンに定義がないのは日本人のおう揚さ、なんでもありというふところの広さ、深さにあるのです。悪くいえば白黒をはっきりするより、ぼかしてあいまいさを好む民族性によるのです。
(p271)
前回のブックレビューで紹介した『麺の文化史』が世界史的な内容だとすると、今回紹介する本は「日本における麺の歴史」と「中華麺の歴史」に焦点が当てられている。この本は1998年にフーディアム・コミュニケーションから出版された『ラーメンのルーツを探る 進化する麺食文化』を改題補筆する形で、2017年に文庫化されたもの。監修は「日清食品」創業者の安藤百福さんで、著者は食文化研究家の奥村彪生さん。この本は7章立てだが、各章の冒頭に二人の対談が掲載された後、奥村さんの論が展開されている。また、巻頭と巻末に、地図や図表で様々な情報がまとめられている。
前半では中国や日本での麺料理の歴史について。そして「かんすい」の出現によって、中華麺が誕生した事についてまとめている。続いて日本における小麦粉と麺食の導入について。その中で、室町時代に記された『蔭涼軒日録】での、かんすいを入れた「経帯麺」についても触れています。後に新横浜ラーメン博物館が「日本初のラーメン」としてプレスリリースしたものだが、かんすいの材料を取り寄せて作ったであろうことには触れているが、同時期に中国から伝わった「椎茸だし」とは異なり、かんすいの匂いが強かったために精進出汁と合わずに、受け入れられなかったと結んでいる。
そして次の第5章では、中国で広まった「拉麺」を、引き延ばして一気に作る「山東式」と、麺塊から一人分ずつ作る「蘭州式」の2種類に分類。蘭州式拉麺は作り手によって味の違いが激しく、山東式拉麺が先に日本で普及した事にも触れている。
この章で特徴的な事として「黄門さんはラーメンを食べていない」という小見出しが挙げられる。「日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門」流布されている定説に対し、「かんすい」の代用とされる蓮根の粉は「でんぷん」で、それを使った麺の記録は中国にも日本にもない事、水戸光圀が麺を食べた記録がなく、料理を振る舞うのも僧侶なので精進物がほとんどであった事から、ラーメンを食べたとは言えないと判断している。後の「水戸藩ラーメン会」による「再現」を「でっちあげ」とし、『にっぽんラーメン物語』でこの説を紹介した小菅桂子さんにも「希望的な思い入れであって、事実無根です」と言い切っている。
第6章では、大正時代に生まれた日本のラーメンをテーマ。留学生の為に作られた長崎チャンポン、大衆的中国料理の東京への広まり、福建省で一般的だった灰汁入りの麺から伝わった沖縄そばを紹介する他、明治時代に中国からの麺と触れあった文豪たち、料理本に掲載された「支那麺レシピ」などの他、日本で初めて「ラーメン」の名が定着した例として、札幌「支那料理竹家」でのエピソードをまとめている。
最後の章は、戦後日本でのラーメンの広まりを、札幌ラーメン・インスタントラーメン・サザエさんなどから点描。そして世界に広がるインスタントラーメンを絡めながら、中国の麺料理をベースにしつつも、日本各地で様々なスタイルを持って広まる「ラーメン」を、引用した冒頭部のような日本人論も含めて語っている。中でも重要なのは、札幌の「支那料理竹家」がなければ「ラーメン」という言葉はなかったこと、「なんでもあり」というラーメンのスタイルが、チェーン店はあっても大企業による寡占が起きない、「日本のラーメン店の強さ」という指摘です。
本編を終えた後、安藤さんの書籍版「あとがき」、奥村さんの文庫版あとがき「安藤百福さんの思い出」へと続きます。2人の間で交わされたエピソードの中にも、日清食品のポリシーが語られています。「ヒット商品よりロングセラーを作り、それを幾つ持つかだよ」という話や、新商品を次々と作ってロングセラーに育てていくとの事でした。様々なカップ麺だけでなく、最近は宅配ラーメン事業「RAMENEX」をスタートさせた日清食品。その力の源泉を、これらのエピソードからうかがい知ることができました。
そして次の第5章では、中国で広まった「拉麺」を、引き延ばして一気に作る「山東式」と、麺塊から一人分ずつ作る「蘭州式」の2種類に分類。蘭州式拉麺は作り手によって味の違いが激しく、山東式拉麺が先に日本で普及した事にも触れている。
この章で特徴的な事として「黄門さんはラーメンを食べていない」という小見出しが挙げられる。「日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門」流布されている定説に対し、「かんすい」の代用とされる蓮根の粉は「でんぷん」で、それを使った麺の記録は中国にも日本にもない事、水戸光圀が麺を食べた記録がなく、料理を振る舞うのも僧侶なので精進物がほとんどであった事から、ラーメンを食べたとは言えないと判断している。後の「水戸藩ラーメン会」による「再現」を「でっちあげ」とし、『にっぽんラーメン物語』でこの説を紹介した小菅桂子さんにも「希望的な思い入れであって、事実無根です」と言い切っている。
第6章では、大正時代に生まれた日本のラーメンをテーマ。留学生の為に作られた長崎チャンポン、大衆的中国料理の東京への広まり、福建省で一般的だった灰汁入りの麺から伝わった沖縄そばを紹介する他、明治時代に中国からの麺と触れあった文豪たち、料理本に掲載された「支那麺レシピ」などの他、日本で初めて「ラーメン」の名が定着した例として、札幌「支那料理竹家」でのエピソードをまとめている。
最後の章は、戦後日本でのラーメンの広まりを、札幌ラーメン・インスタントラーメン・サザエさんなどから点描。そして世界に広がるインスタントラーメンを絡めながら、中国の麺料理をベースにしつつも、日本各地で様々なスタイルを持って広まる「ラーメン」を、引用した冒頭部のような日本人論も含めて語っている。中でも重要なのは、札幌の「支那料理竹家」がなければ「ラーメン」という言葉はなかったこと、「なんでもあり」というラーメンのスタイルが、チェーン店はあっても大企業による寡占が起きない、「日本のラーメン店の強さ」という指摘です。
本編を終えた後、安藤さんの書籍版「あとがき」、奥村さんの文庫版あとがき「安藤百福さんの思い出」へと続きます。2人の間で交わされたエピソードの中にも、日清食品のポリシーが語られています。「ヒット商品よりロングセラーを作り、それを幾つ持つかだよ」という話や、新商品を次々と作ってロングセラーに育てていくとの事でした。様々なカップ麺だけでなく、最近は宅配ラーメン事業「RAMENEX」をスタートさせた日清食品。その力の源泉を、これらのエピソードからうかがい知ることができました。

