「私は実です」のその先へ❤️伝える側に回ると人生が激変する理由。 | 秋山きえのブログ「それでも、来た道」

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教える側、伝える側にいるからこそ

体現して続けられる、とある重要なことがある。

 

 

それは何かといえば

「私は価値ある存在である」ということ。

 

 

去年みんなの間で流行った言葉でいえば

 

私は実です💓

 

というやつですニコニコ

 

 

私たちは、全員に共通する事実ですが、

何かをしなくても

もうすでに十分に価値のある存在です。

 

何者かにならずとも、

すでに価値はあります。

 

 

それがわかる簡単な方法は

自分自身の肉体に目を向けること。

 

どういうことかといえば

 

「私にはお金がない」

「資格もスキルもない」

 

と、誰かや何かと比べて自分は価値が低い、

とみなしてしまう場合でも

 

 

「では、あなたのその腕をまるごと一本バッサリ切って私に譲ってください。3000万円払います」

 

「あなたのその目玉をください。2つで1億円払いますよ」

 

 

と、もし提案されたとしても基本的には

 

「売れません!!」

 

よね。

 

 

「え、じゃあ3億円払いますよ?キャッシュで。だからその腕と目玉ください」

 

と言われたとしても

 

「10億でもいやです!!」

 

よね。

 

▼この例の出典はこちら💓

 

 

 

 

 

ていうことは、

 

 

 

紙幣・硬貨として

10億円を所持していない

としても

 

もうすでに自分自身は

その額を遥かに凌ぐほどの

価値があるもの

 

なのです。

 

 

ここまでは、ほとんどみんな理解してるよね。

その通りだ!と思うはず。

 

 

そしてその言葉、教えに従って

 

 

「私は価値ある存在なんだ」

 

 

という意識をより確かなものにして、人生という名の日常生活を進めているはずです。

 

時にまた自信をなくしたり

また自信がついたりと

様々な波と共に。

 

 

私は価値ある存在である

 

私は価値ある存在である

 

私は価値ある存在である

 

 

 

私は実です

 

私は実です

 

私は実です

 

 

 

・・・ここで、言葉の「あや」が生まれてくる。

 

 

 

そんなつもりはなくても、言葉の「あや」が脳に誤解を植え付けることがある。

 

 

どういうことか。

 

 

それは

 

 

 

私「は」価値ある存在である

 

私「」実です

 

 

 

という、自分と他人を分断する言葉のあや。

 

 

 

私「は」価値ある存在であるという言葉が、

 

私じゃない存在の価値を自然と定義しはじめるのだ。

 

量子学でいう「対生成」がここで起きるんだよ。

 

 

 

 

 

実際は、すべての「私」が価値ある存在である、が事実です。

 

 

自分だけじゃなく、相手も同じ価値ある存在なのだ。

 

 

だけど言葉のあやによって

 

なぜかこの三次元物質世界の構造上

 

 

<私「は」価値ある存在である>

 

という想念が現実世界に投影されると

 

ヒエラルキーの存在するピラミッド型となってあらわれてくる。

 

このヒエラルキーの存在するピラミッドは

 

数少ないトップが数多くの底辺を支配するという

 

二極の世界が潜んでいる。

(自分でそう思ってなくても言葉のあやがそれを自身の世界の中に自然発生させるんです)

 

 

だから、

 

せっかく自分自身のすばらしい価値に気づいても…

 

 

 

その価値ある存在をまたさらに

 

上下にわけたりあっちとこっちにわけたりして

 

高い、低い、と価値に差をつけだしてしまう。

 

 

価値に差をつけると、どうなるか。

 

 

「私の価値」も

すぐに落ちたり

下がったりする。

 

そういう構造を言葉のあやによって創造してしまっているから。

完全無自覚にです。

 

 

ここまで、いいですか

 

 

ここからですよ、重要なことはニコニコ飛び出すハート

 

 

 

伝える側、教える側の人たちはこの

二極構造から見事に

抜け出す場所に自然と移行します。

軽やかに、ハッピーに昇天

 

 

その理由は、立場の違いによって

使う言葉が変化するからです。

 

 

「私は価値ある存在である」という

趣旨のことをみんなに伝える時。

 

世界の本質など、

大切なことを自分から伝える時。

 

 

 

 

 

伝える側、教える側に立つとこうなります

 

 

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たちは価値ある存在です

 

 

 

 

伝えるようになるから、

 

私だけじゃなくみんな価値ある存在であるのだ、と伝わる言葉を選ぶようになる。

 

 

だから自然と

 

 

私「たち」という言葉になっていくんだ。

 

 

 

さらに、

 

今度はそれを伝えれば伝えるほどに

 

放てば放つほどに、

 

 

私とあなたという存在の

 

すばらしい価値を肯定し続けること

 

になる。

 

 

その時、その人の世界はヒエラルキーのある三角ピラミッド型ではなく、

 

上も下も右左もない丸い球体状の世界となる。

 

三次元物質世界を抜けた、源の世界の感覚はこっち。

これが全部、わたしでありあなたであり神である。

 

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自分ではそんなつもりなくても

言葉のあやによって自然と

二極の世界・価値・優劣などを生み出すことがある。

 

 

それは、神様がそのようになるゲーム設定をして

シナリオを描いているからだ。

 

 

量子力学も引き寄せも宇宙工学も

哲学も宗教も、すべて神様のシナリオの

一部をそれぞれの切り口から語っているに過ぎない。

 

 

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セミナージプシーは決して悪いことではない。

 

学びから得られることはいつだってたくさんある。

 

 

1つだけ注意するとすればそれは、姿勢だ。

 

 

受け取るだけ・受動的・被る側

 

 

という姿勢は、自然発生的に

 

私という個を

 

「だけ」「のみ」という意味合いで確立させやすい。

 

 

その状態のまま、講師側の伝えようとすることは受け取れないのだよ。

 

自分でも伝えたり人に言うつもりになるだけでも

その姿勢は180度変わる。

 

すると、伝わるように伝えなくてはいけないので、受け取る時も真意を自分の脳と気持ちと合致させた状態で受け取りやすくなる。

 

 

 

そんな状態だったらセミナージプシーもすればするほど血肉となる。

 

 

この世から無駄な経験が消える。

 

 

すべて糧にしかならない、という在り方になっていく。

 

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