いま、映画館の座席に座っているとします。
スクリーンに映し出されている映像は、
過去に、自分が体験したことと同じ出来事が展開されています。
今まさに目の当たりにしている映像は、
自分自身が体験したストーリーなのですから、
ハラハラ、もやもや、ムカムカ、グサッと
いった感情が、心中で荒れ狂っています。
スクリーンの中の主人公の動作、言葉、
目の動きの一つ一つに自分自身を一体化して、
感情から分泌されるホルモンに、
体内が嵐のように荒れ狂っています。
そんな渦中にいながら、同時に
安心している自分がいることに、
じょじょに気づいていきます。
安心しているのは、このストーリーが
いずれ終わるということ知っているし、
また、すでに体験したことなので、
二度とわが身に降りかかることはない、
ということを知っているからです。
そして、安心している自分自身が
感情に翻弄されていた自分とは
違う存在であることに気づいていくでしょう。
外の映像に反応してした自分と、
いまの自分が違うことに気づいたとき、
中心に一本の軸が通ったような感じがして、
内側から、新しい力がモリモリと
露わになってくるのを感じるかもしれません。
内側の中心にある自分自身によって、
その自分と感情が、分離出来ることに
気づくことができます。
そして、いつのまにその感情を、
観察している自分自身が出来上がってくると思います。
観察することによって、
感情に翻弄されていた状態を回避できるだけでなく、
自分自身の中心軸が
芽生えてくるという、新しい発見があるはずです。![]()
観察者は、感情に埋没する自分自身を救出し、
内側の中心にある自分を、
育ててくれる、存在になるでしょう。
観察することの意義、
一言では言えないほど、奥深いものです![]()
また書きたいと思います![]()