江田島/同期の桜・海軍兵学校と宮島の関係 | 星へ行こうよ

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桜の咲く週末、はじめての江田島へ🌸




島と言っても、橋がかかってるので

呉側から、車でも行けます〜

牡蠣の養殖用のホタテ貝の山



丸太郎が春休みに帰って来たので、

久しぶりのハンドルを握らせ、、

さて、

どこへ行こうか?


特にない?


じゃあ、、江田島までドライブだ〜🚙


『天と地がドッキングする時』🎍あけましておめでとうございます🎍 写真は車窓からの眺め、瀬戸内海です✨正月に帰省した丸太郎が、車の免許を取って来たので初めての家族ドライブをしました➰🚙 丸…リンクameblo.mom

前回のドライブの風景



オリーブ🫒と牡蠣🦪と、海軍の島⚓️

牡蠣の養殖



江田島到着〜🚙


オリーブの古木たちがお出迎え🫒




江田島を知ったきっかけは去年の秋🍁

宮島のもみじ谷で見かけた海軍休憩所。


「海軍兵学校御用達」の看板



もともと旧日本海軍の関係者が利用していた宮島には、保養・休憩のための施設があった。



同じ頃、長崎でも偶然、

海軍兵学校針尾分校跡地を見かけ




太平洋戦争末期、幹部養成のために開設された針尾で、最後の78期生は15歳で入校。わずか数か月を針尾で過ごしたという。



『宮島で見かけた海軍兵学校の休憩所は、江田島本校に関わる施設だった。

そして、ここでまさかの針尾分校跡に行き当たった。』




厳しい訓練の場(江田島)と、

心を緩める場(宮島)のセットだったと知る




現在は海上自衛隊の教育の中核として、その伝統を受け継ぎながら、海上自衛官の育成が行われている。





海上自衛隊第1術科学校


案内付きの見学は約1時間半

案内なしでの見学はできません


海軍兵学校は、明治21年(1888年)に東京・築地から江田島へ移転して以来、多くの海軍士官を輩出してきた場所。




江田島の海上自衛隊第1術科学校


ここでは、射撃・水雷・船務・航海・気象・通信・電子・掃海機雷・運用・応急・潜水・警備・体育など、幅広い分野にわたる教育が行われている。 



校内は整然としていて、足を踏み入れた瞬間、歴史ある建物と相まって空気が変わる。見かけた学生たちは(見学に来ていた高校生たちも)キビキビとしていて、こちらまで自然と背筋が伸びる。


根上がり桜🌸力強い


この地で生まれたという

「同期の桜」という軍歌。

こちらの桜が「同期の桜」のモデルとなる

ご本人(同期の桜)さま🌸満開でした🌸



説明員の方が「同期の桜」はソメイヨシノだからクローンだと、寿命は50年ほどだという🌸🌸🌸


現在は3代目ということで、次なるモデルさん(4代目と5代目の桜🌸)も生育中でした🌸





今ごろ針尾の桜も咲いているのかな…🌸




戦時軍歌 「同期の桜」 

名曲の誕生は江田島の金本倶楽部 より


https://www.kaihei-71.com/chousa1.htm



個人的には、“同期の桜” と聞くと、

どうしても「バカボンのパパ」の台詞が先に浮かんでしまうのだけど💦背景を思うと切なくなる。







こちらの幹部候補生学校本館は、3年前から学校の休講日のみ、見学ができるようになったそうです。

(平日は学舎の為、見学不可)



地震により瓦からスレートへ変わったそうです


柱の上の装飾も

桜🌸🌀


海軍の象徴である

イカリ⚓️

桜🌸が重なった意匠に日本人を感じる




整えられた校庭は、枯山水のよう



大講堂の傍にも桜🌸


大講堂

大正時代の西洋建築



天井の装飾は波をイメージしているそう


一次は教会として利用されていたと聞いた

ギャラリーのデザインも素敵

⚓️🌸🇯🇵



山本五十六の“心得”と、“男の修行”

丸太郎が声を出して読み上げていた。。



教育参考館撮影禁止でした。

写真撮影ができない資料には、目を奪われるものが多すぎて、何度も足を止め、、

最後は駆け足になった汗うさぎ



特攻隊員たちの遺書。

18歳から21歳ほどの若者たちの文字は驚くほど達筆で、添えられた写真はハツラツとして見え胸が締め付けられる。


最後に残した時間、私物の時計などをお世話になった方に贈ったエピソードなど、時間はそこで止まっている気がした。



戦争絵画、藤田嗣治(レオナール・フジタ)と、横山大観の作品が並んで展示されていて驚いた。



横山大観といえば富士

正気放光」せいきほうこう

大観によって江田島海軍兵学校へ寄贈され、終戦後は一時、進駐軍の眼を避けるため、厳島神社に預けられていたという。





特殊潜航艇「甲標的」


真珠湾攻撃で使用された

特殊潜航艇と同系統の実物資料



「大和」の主砲弾




見学のあと、説明で知った三高山砲台跡へ向かった。



広島湾要塞の一角として、周辺一帯の防衛のために築かれた、大規模な砲台跡





30数キロ先の錦帯橋まで届く大砲が据えられていた場所だという。



海からの侵入に備えて築かれた砲台だったけれど、戦争はすでに空からの攻撃へと変わっていき、

未使用のまま大正10年(1921)に廃止。


一度も撃たれることなく終戦を迎えた砲台跡










砲台跡から宮島が見える。

大鳥居のある表ではなく、島の裏手から全体を見渡す。



旧日本海軍の呉海軍工廠跡地に建設した、当時の日亜製鋼(後の日新製鋼、現日本製鉄)

製鉄所はすでに閉鎖され、いまは解体が進んで一部更地になっていた。10年かけて解体するそうだけど、まだ序盤にあたるらしい。



砲台跡も同じように、時間だけが少し取り残された不思議な感じの空気が流れてた。





桜の咲く中で、時間だけが少しずつずれて重なっているような一日だった。