ここは宣教師が渡ってきた海。
信仰の道でもあり、逃げ道でもあった海。
夫が「外海歴史民俗資料館」へ行こうと言うので向かっております。
向かう途中、ふいに視界を横切った鳥居があった。
大野神社。
鳥居が、、埋まってる…??
写真/長崎市HPより
参拝はできていないけれど、
気になって調べてみた。
大野神社の御祭神は、
もとは“羽黒大権現”
そして明治の神仏分離によって、
“宇迦御魂命”へと改められている。
長崎で羽黒権現とは、、
おどろいた。
『禁教期の大野集落の潜伏キリシタンは、表向きは仏教徒や集落内の神社の氏子となり、神社に自分たちの信仰対象をひそかにまつって拝むことによって信仰を実践した。』
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
「外海の大野集落」より
外海の大野神社は、江戸時代初期(1671年頃)に真言宗の寺院が羽黒大権現を勧請して建立。
それ以前にも御堂の跡があり、古くからの信仰を整えたかたち。
外海の大野集落では、潜伏キリシタンが表向きは大野神社(当時の羽黒大権現)の氏子となって神道の信者を装いながら、ひそかに自分たちの信仰対象を神社に重ねて祈りを捧げ、信仰を守り続けていた。
羽黒大権現に、
禁教下のカモフラージュ。
大野神社は集落全体のほとんどの住民(潜伏キリシタン含む)が氏子だったためこうした“ひそかな守り”が可能だったのだろな。。
Wind is blowing from the Aegean
女は海
好きな男の腕の中でも違う男の夢を見る
突然、あたまの中で
ジュディオングの歌(♬魅せられて)が
流れ出した...![]()
![]()
国境のない風が連れてきた祈りを受け止めてきた
羽黒大権現も、境界を曖昧にする存在だからこそ、
カモフラージュになり重ね祈りが成立した。
強く否定しない神だった。
、、いい男風味だな。
あ、わかった。
私の実家は正月に出羽三山の掛け軸をぶら下げる習慣があるんだけど、それが男性三人だからだわ!
(羽黒山・月山・湯殿山)
しゃべらない
押し付けない
ただ、そこにいる
きっと器の大きな男なのだわ![]()
村の守護にぴったりな神として選ばれた羽黒権現が、氏子たちを守ったとも言える。
明治の神仏分離で宇迦御魂命に改称された。
めくられたページの上に、
また一枚、歴史が重ねられる。
外海歴史民俗資料館
到着しましたが、外壁は修復中でした。
全面に覆いがかかって工事の真っ最中。休館かと思ったら、開いていたので夫がよろこんでいます。
海と共に生きてきた暮らしの記憶をのぞきます。
(つづく)
⚫︎⚫︎⚫︎おまけ⚫︎⚫︎⚫︎
長崎に羽黒権現!?と思ったら、
「羽黒神社」が松浦市にあるそうです。
長崎県松浦市星鹿町岳崎免29
なんだか気になり調べてみた。
『文治(ぶんじ)5年、神代出羽権守(こうじろでわのごんのかみ)という人が、羽黒山大権現の分霊を奉じ、奥州卒土ヶ浜を出、ここに「羽黒大権現の社号を奉り鎮座す」とあります。また、源義経の自刃後、その家臣佐藤元治が吉井(北松浦郡)の地に居を定めて羽黒三社権現の分霊を奉祠し、その後現在地に遷宮(せんぐう)したという伝説もあります。』
松浦市観光情報「松恋」さんより
源義経の自刃後、家臣の佐藤元治が約20名を率いて奥州を逃れ吉井の地に居を定め、故郷で信仰していた羽黒山大権現(羽黒三社権現)の分霊を奉じて祠を建立し、のちに現在の地へ遷宮した。
という伝説があるようです![]()
主君を失い
身分も土地も失い
海を越えて流れ着いた人が
故郷の神として羽黒権現を祀る
奥州から航路で長崎へ。。
事実かどうかより、
この話が今もこの地に残るのがロマンだな。
★★★ 追 記 ★★★
いま、「星鹿(ほしか)」を調べてたら、、
「星鹿くんち」なるお祭りが。
宗像大社のみあれ祭みたいなお祭りをしていた。。!
↓こちらは、宗像大社のみあれ祭
ほ、、ほぼ同じに見えるど??![]()
![]()
「星鹿くんち」
羽黒神社のお下りをすませた神輿を載せた漁船を先頭に、幟で飾り立てた約100隻の漁船が海上安全と豊漁を願い星鹿港内をパレードする。
あまりに似てて「みあれ祭」と見間違えたど![]()
羽黒権現さん、
あなた、、もしや、、
ムナカタシコウですかい???







