夫が陽性になる
8/4に夫婦デートをして、5日は夫婦ともに仕事、子どもたちは学童でした。
で、6日(土)は、夫は仕事、私と子どもたちは習い事DAYという、いつもの土曜日を過ごしました。
忙しい習い事の合間には、翌週火・水で学童のキャンプがあるので、その準備を子どもたちとしました🎒
親と離れるキャンプ、子どもたちはとっても楽しみにしていました。
子どもたちが寝た後は、いつもの夫婦の晩酌タイムがあり。
翌日が夫が休みの日は、私はいつも2階のダブルベッドで広々と1人で寝て、夫が子どもたちと1階の和室で寝ています。
この日も翌日が夫のお休みだったため、私は2階でのびのび寝ました。
7日(日)朝、全てが始まりました。
私が朝1階に降りると、夫から不吉な言葉が。
「なんか体調変かも」
熱は37.4℃
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とりあえず、2階行って❗️
と、風邪薬と水筒と冷えピタを渡して、すぐに隔離しました。
で、子どもたちと検温🌡
この時点では、夫以外は平熱&元気![]()
でも、私の中では、もうアウトだという諦め…![]()
教師という仕事柄、たくさんのコロナにかかった家庭を見てきました。
ニュースなどでも、コロナ関連は見るようにしていました。
だから分かります。
今の時期の発熱は、ほぼほぼコロナです![]()
そして、家族の誰かがコロナになったら、高確率で全滅になります![]()
子どもたちは昨日夫と一緒に寝たし、もう全滅だろうという諦め![]()
昼前、37.5℃を超えた夫は、自分で調べて、1人で休日診療所に検査を受けに行きました。
私は子どもたちを集めて、お父さんがコロナの可能性が高いこと、家族がコロナになると、私たちも濃厚接触者となり、数日間は家から出られないこと、学童のキャンプにも行けなくなること、お父さんはコロナになったとしても、まだ若いしきっと命に関わることにはならないことを伝えました。
子どもたち、静かに話を聞いていました。
しばらくすると、夫が帰宅。
「抗原検査で陽性やった」と。
自宅療養&隔離&缶詰生活の幕開けです。
実は11日から四国旅行を計画していましたが、行けないことが決定しました![]()
夫はそのまま2階に隔離🚪
子どもたちをまた集めて、陽性となったことを伝えました。
夫の話では、実は6日の深夜から少しのどに違和感があったとのこと。(すぐ言ってよ〜
)
だから、6日を0日として、私たちは11日まで家から出られないこと、キャンプや四国旅行にも行かなくなったこと、今のコロナは感染力がとても強いので、これから私たちも発症する可能性があることを伝えました。
子どもたち、泣くかと思いきや、
「仕方ないよね」
という反応でした。
この子たち、コロナと言われたら、何でも「仕方ない」と受け入れるしかない世界にいるんだと思い、とても悲しくなりました。
泣いて悔しがってもいいのに。
「1番つらいのはお父さんだもんね」だって。
なんて優しい子たち。
この子たちを何とかコロナから守りたいと思いました。
同時に、「きっと全滅だろうな」という諦めも変わらずありました。
あと、やはり「私までダウンしたらどうすればいいんだろう」という恐怖も、とてもありました。
正直、夫を心配できる余裕はいっさいなかったです。
家の備蓄をチェック
最初に私がしたのは、家の備蓄品や食料品のチェックでした。
キャンプグッズなどから、紙皿などの使い捨て食器類、割り箸、ビニール手袋、ウェットティッシュ、ビニール袋、ゴミ袋などの備品は、数日分は大丈夫そう。
食料品も、今日明日は大丈夫。
すぐにネットスーパーを登録し、足りないものを注文。
夫が前の晩に使っていた寝具類を洗濯、交換。
子どもたちとともに数時間おきに検温し、元気を確認しながら、夜を迎えました。
夫は熱が38℃を超え、苦しんでいましたが、インフルエンザよりは全然マシとのこと。
昼、夜とおかゆを使い捨て容器にラップを敷いて入れ、2階の部屋の前に置きました。
この「ラップを敷く」というのは、震災で学びました。(私は阪神淡路大震災を経験しています)
2階にもトイレがあるため、夫は一度も1階に降りることなく、必要なときは私がマスク、ビニール手袋で部屋の前に届けました。
夫の水分は、備蓄していたOS1と、家にあった保冷ポットに水を入れて渡しました。
とっても大変な1日でしたが、このまま収まってくれるなら、何でも頑張れました。
でも、やっぱりコロナはこれで終わってくれなかったのです…。