ピア 人工関節と難病と猫と

ピア 人工関節と難病と猫と

・・・
人工関節の脚、肝臓の難病、慢性疼痛と闘っています。
時々は保護猫出身の愛猫のことも。
人生終盤、余生を悔いなく送りたい。
ブログを綴って、脳の衰えを緩やかに。

すべての命は


幸せになるために生まれてきたんだよ


だれの命も大切に



*猫の闘病記録です
 スルーしてね

愛猫ののか、また嘔吐

先週、私の横浜行きの前日に吐いて病院行き

そして今週、明日は友達とランチ会、という日にまた始まった

 

薬を飲ませたけれど全然効かず、夜になっても苦しむので夜間救急に駆け込んだ
昼間やってる動物病院の多くが定休日だからか、すごい混雑だ

腰の曲がったお爺さんが「きのう拾ったんだよ」
とサビ柄の赤ちゃん猫

「この子、ちょっと変じゃない?」
とみんなでのぞき込んでいると
掛けた毛布がガタガタと動くほど震えている

すぐ看護師が来て診察室へ
助からなかったかもしれない…


で、ののかのこと
救急病院なので応急処置で点滴と吐き気止めの注射だけ
その時点で日付が変わっていた

家に帰ってきてまたすぐ嘔吐
最強の吐き気止め(セレニア)を打ったのに、なぜ?

もう、私が吐きそうだ


翌朝、2口ぐらい食べてまた吐く
吐くものがなくなっても吐く

 

いつもの病院が開くのを待って連れて行った


前日の点滴が残っているので
吐き気止めと胃腸を動かす注射、計三本をしてもらった


「もう、これがダメだと打つ手ないですね…」
最後通告だろうか



そして今朝
2日間ほとんど食べていないからか、食べること


 

「もう終わり」
と言っても欲しがって鳴き続ける
食べ過ぎで吐きはしないかとヒヤヒヤだった



私月末にもうひとつ集まりがあるのよね
前日にまた嘔吐が始まる予感が…

ののかもつらいけど
おかあちゃんもつらい





 



*猫記事です

興味のない方スルーして!

 


我が家の猫娘ののかは、白黒ハチワレ猫

ハチワレはもともと鉢割れ(頭の鉢、鉢巻きのハチ)という意味と聞いていた
私が子供の頃もハチワレ猫がうちにいたけれど、
昔は、頭の上まですっぱり割れているのは縁起が悪いと言われていたと思う

今は八(末広がり)で縁起がいいとされているらしい



猫は生まれてくる柄は選べないので、縁起が悪い、なんて言われたら可哀想


白黒ハチワレって、昔からの日本猫そのものの感じで可愛らしいと思う


だから保護主さんの家に見に行ったとき、子猫10匹の中で最初に目に入ったのがののかです





猫飼いのブロ友yoriさんも、ののかによく似た柄の男の子アタルくんを保護し、育てている

 


アタルくんは、脳や耳の障害もあったことから、私もその順調な成長を願っていた

今は他のお姉さん猫とも新入りスイカくんとも仲良く、幸せな猫生を送っている



yoriさんがAIで、アタルくんと我が家のハチワレ二人のコラボ画像を作ってくれた


可愛いから、見て見て~~


向かって右からアタルくん、ののか、風太

 

3人でパーティに行きます(笑)

 

 

その他にも可愛い画像があるよ
yoriさんのブログを見てね!

 

yoriさんのブログ

 




 

 
 
 
最近のののかです
 
 
 
 
先日突然嘔吐したのでセレニアをのませたのに
 
3時間ぐらいでまたひどく嘔吐した
 
 
もう病院には連れて行かないつもりだったけれど
またのませても、この調子だと薬を吐いてしまうと思ったので
 
注射で止めてもらおうとしかたなく連れて行った
 
 
 
私は翌日横浜へ行く予定だったから
私がいないと、ダンナではどうしようもないから
 
 
ののかは、私が出かける前に具合が悪くなるのは気のせい?
「どこへも行っちゃいや~」
と思ってるのかな
 
 
 
 
数か月ぶりに本人(ののか)を診た先生
(いつも報告と薬だけ)
 
「いや~ののちゃん頑張ってますね~」
 
とっくに死んじゃうはずだった、みたいな口ぶり
 
 
 
体重は微増
 
去年の夏は5キロあったのが
1月、2月のひどい時は3キロちょっと迄落ちた
それが3.7キロになった
 
 
 
時々こんなふうに前ぶれもなく吐くけれど
元気のない時も多いけれど
 
頻繁に病院へ行って点滴していたころよりずっと穏やか
 
 
検査で剃られたおなかの毛は、半年過ぎても生えてこないけど
 
 
 
 
 
出窓のかごにすっぽり納まる「深窓の令嬢」です
 

 
 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 




二十年ぶりぐらいに降りた新横浜駅



 

いちばん最初は、新横浜駅ができてすぐの頃だろうか
ホームから見える景色は森?山?だったような

レストラン街などなくて、食堂街という感じのお店の並んだ一角があった
(どれだけ古いんだか)



10年ぶりぐらいに友達と会い、そのあと叔母(母の妹)に会いに行ってきたのだった



まず新横浜で友人と待ち合わせて食事
オープンエアのオシャレなテーブルで


駅ビルの様変わりにビックリだった




そのあと地下鉄と京急乗り継いで、叔母のところへ
従妹含めて女4人(96才~72才)

まあ、おばあさま方よくしゃべりました
この分では、母のように100歳越え間違いなし



で、新幹線のことだけど

行き(名古屋→新横浜)は
いつも新幹線は指定席を事前に買って行く
この脚だから、絶対に座れないと困るのだ

いつも中央近くの車両で、C席(通路側)をとるのだけれど
なんと、11号車のB席の一席しか空いていないという

両脇挟まれるのはいごこちわるい
ひじ掛けが使えないし


でもやっぱり座れないのが不安で念のため買ったけれど
乗る時、5号車(自由席)を見たらガラガラではないか!

指定券代無駄だったけど自由席に座った



帰り(新横浜→名古屋)は
東京・品川できっとたくさんの人が乗るから
自由席が満席かも知れない

と思ったけれど、それでも空いていた


いままで買ったたくさんの指定券、もったいなかったな~


名古屋では食べられない崎陽軒シウマイ弁当(1180円)


瓢箪型のしょうゆ入れはなかったのが残念



たくさん歩いたからか(私にしては)
明け方足がつって悶絶~






 




ロシア語の通訳をされていた米原万里さん(1950-2006)
 

没後20年で池上彰の「時をかけるTV」でアーカイブ番組を放送していた


古い話と言ってしまえばそれまでだが、とても感動的だった

さっそく番組の背景となったノンフィクションを読んでみた




万里さんは当時の共産主義・社会主義の組織やソ連の衛星国から派遣された各国の代表の家族として、チェコに住んでいた



9歳から数年間、まだソビエト連邦があった頃のチェコ・プラハの
ソビエト学校に在学していた
子供たちの国籍は50か国にのぼるそうだ



ソビエト学校での生活、

そして14歳で帰国後、プラハの春・ソビエトの侵攻・民族紛争・ソ連の崩壊など歴史の大転換があって
連絡がつかなくなった親友たちとの再会について生き生きと書かれている



リッツア、ギリシャ人
アーニャ、ルーマニア人
ヤースナ、ユーゴスラビア人(当時)
万里、日本人


万里さんがそれぞれの安否を確かめるためにヨーロッパを探しまくり、奇跡的な偶然があったりしてそれぞれと会うことができた

アーカイブ番組では、実際に全員が再開した場面が放送されていた




多感な時代の少女たちの友情は、イデオロギーを越え、考え方の違いを越えてもあたたかくてみずみずしい

再開のとき、涙で抱き合うシーンはもらい泣きしてしまった


それぞれが別れてから、動乱の時代をどんな体験をしどう生きてきたか、歴史全般に弱い私だが、とても飽きさせない読み物だった




万里さんロシア語通訳者だけれど、文章力表現力ともすばらしくて
若くして亡くなられたのが残念

今の世界各地でうごめいている(もちろん日本も)排外主義や右傾化を、万里さんが知ったら…それも残念で申し訳ない感じがする