おはようございます。
naomi です。
数秘で紐解くバイオグラフィー
タモリ こと 森田一義さんの数秘で紐解く半生
前半に続き後半をご紹介します。
レポートは川南珠美さん
流れに委ねていくタモリ さんの人生
後半を 読んでいただけたら嬉しいです。
CYCLE 42歳〜50歳
サイクル番号#22ー4 ピナクル番号#8 チャレンジ番号#1
人気が安定し、番組も数多く持った。そして彼の想像と桁違いに多くの番組が長きにわたり支持され、継続。その継続を保つことが仕事になった。
引き続き、受容と協力の中で大きなことを成し遂げられる年周りとなる。不可能への挑戦と開拓がpinnacleの指す可能性。
鉄道や製麺機への熱き興味へのオタクな情熱をタモリ倶楽部番組内で繰り広げたりする。それは守るべき番組を継続し保つことと同時に
時に事務所やスタッフに制御されつつも ”夢想家”の部分を徐々に開眼していく。
様々な継続の中でマンネリに打ち勝つために、challenge1の絶対的でオリジナリティ溢れる企画や交流が、このサイクルの学びの印だろう。
1987年 42歳
【#10】唯一無二の開拓 スピリチュアルフォール。
音楽番組ミュージックステーションの2代目司会に就任。以後現在も続く長寿番組となる。
他の芸人やレントのようにネタをやってもオチをつけないし、テレビに出ている自分を見るのが嫌いな習性のタモリ。
芸の枠を飛び出し、その知性ある語り口を生かして 教育や趣味番組を自らの言葉で語れるようになっていく。NHKウォッチング、驚異の小宇宙などをはじめ
90年までにはFNS27時間テレビ、夢列島などの長時間特番など、新しい企画の司会を担当することが多くなる。
1990年 45歳
【#4】ここからサイクルが6クール目になる。(〜54歳)温和、誠実さ、調和を保ち、持久力で動いていく。
90年以降、広く浅くと本人がいっている趣味の世界を前面に打ち出して番組をスタートさせていく。
タモリの音楽は世界だ、ボキャブラ天国、ジャポニカロゴス、ブラタモリなど。
1992年 47歳
【#6】完璧主義、因習的。
いいとも!が10年経過したこの頃、番組の人気は安定していたもののマンネリ化や タモリの態度が平板な態度だなど批判が目立つようになってきていた。
80年代後半から多くの人気冠番組を持ち、人気を確立していたとんねるずが夜の裏番組で活躍し、自身の番組が終了になった。
さらにダウンタウンやウッチャンナンチャン、B21スペシャルなどお笑いの第三世代とも呼べる面々がもてはやされ始めていた。
この前後さんまは、離婚とバブル崩壊による多額の借金で苦しみ、たけしはバイク事故で瀕死の重傷を負う。タモリ含めビッグ3と言われた面々の厳しい時期。
長寿番組のマンネリ化にはchallenge1を意識した現状打破、独創的な新しいステップが、必要になっていた時期であろう。
1995年 50歳
【#9】完結。サイクルの成就 完成。複雑な二極性の中で変容する。人を導く力を実践する。
番組のオープニングからの流れで いいとも!の看板「テレフォンショッキング」が終わるまでは基本的にレギュラー出演者は誰も顔を出さなかった。
この年の10月からオープニングにレギュラー陣のミニコーナーがスタートするようになる。やがて98年春にはオープニングコーナーに時間をかけるようになり
その構成は番組終了まで続いた。タモリがオープニングを独占しなくなり森田一義アワーを冠した番組としての役割を失ったかに見えるニュースだ。
またこの年10年以上レギュラー出演していたさんまが降板している。前後して、鶴太郎、所ジョージといった初期レギュラーや80年代後半より改革期に携わったダウンタウン、ウッチャンナンチャンらも卒業。
時代は変わった。タレントたちは笑わせることが仕事でなく、ミスして笑われることが
求められるようになったのだった。ゴールデンタイムから歌番組が消え、代わりにダウンタウン、ウッチャンナンチャンの冠番組が賑わしていた。
新しいお笑いがテレビを占めて活躍の場を失った、91年にCDデビューし振るわなかったSMAP。当時の流れを読んだ、ジャニー喜多川の「SMAPを平成のクレイジーキャッツ、
ドリフターズにしてくれ」との願いと決断によって、歌って踊ってコントする アイドルバラエティ路線でレギュラー番組が数々スタートする。
その思いを託されたSMAP番組は、いいとも!のプロデューサー、ディレクターらの制作番組だった。
アイドルでありながら、いいとも!のレギュラーに迎えられたメンバー中居、香取(94〜)草薙(95〜)が登場するのはそんな縁からだったがこのスタッフとの縁によって翌年、長寿番組になる「SMAP✖︎SMAP」が生まれる。
いいとも!のスタッフ、そしてタモリに特別な感情と深い信頼関係を持っていたことは2014年3月のフィナーレでの 彼らの涙で十分明らかだった。
そして87年から後期いいとも!までレギュラーとして SMAP中居らと共に強い存在を放っていたのが 笑福亭鶴瓶だ。
彼もまた、いいともに出演した頃は大阪から東京進出をはかっていた何度目かの振るわない時だった。当時大阪芸人が東京で長く成功するのは温度差があって難しかった。
さんまらレギュラーの降板を見るたびに、自分も別の場所でバージョンアップを図ろうと局に根回しをする鶴瓶。
しかしタモリに「ここはあなたのためになるから絶対ダメ」と止めらていた。
鶴瓶のNHKの町歩き番組が特番として始まった頃だったが、いいとも!に残り続け東京の生番組でのトークの腕を上げ、NHKの特番は2005年には毎週レギュラー化
今や大人気の「鶴瓶の家族に乾杯」は彼の若干強引気味な人懐っこさが受けた、紀行バラエティの冠番組として定着した。
こうして、タモリ自身が周りから喜びと理解で世に送り出されたように、タモリもまたこの時、周りの才ある人たちを見守り、理解力を持って包容する時(9)だったのだろう。
自分の売れ行き、人気や番組への執着がそもそもなかった彼は、次世代への彼の博愛や寛容さ、包容力が育ってきていた、成熟期と言えよう。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
CYCLE 51歳〜
サイクル番号#19-10-1 ピナクル番号#9 チャレンジ番号#7
一つの区切りが終わった、という強い印象のあるサイクルナンバー。「力」の使い方を修正することで激動の変化をくぐり抜け、真の力のあり方を学ぶことで自信と威厳を社会に確立していく19のカルミックナンバー。
驚異的な数字を打ち出す長寿冠番組を複数持ち続け、テレビや芸能界でのポジショニングが不動になった今こそ、その地位をどう使うかがテーマになる。
毒気と風刺のあった芸やそれが毒抜けてつまらないと批評されていた時期を抜け、芸風をよく知らず、彼の発言を格言と捉えたり、理想の上司像として見る向きが上がってくる。
また比較的ラッキーや恵まれた環境で苦労少ない人生を与えられるが、ある時全く別の道に変化する場合が多く見られる修練、再誕生のカルミックナンバー10。
これは芸を買われ芸能界入りした彼が、別の道に転じることを示唆している。ピナクル9のもつ複雑な二極性から、簡単に引退とかではない大きく変化するテーマが
直面することを表している。反省しないというが内省を訓練する時でもありそうだ。成果や役職肩書きなしで人々の心を豊かにすることがミッションとなる。
1997年 6月 52歳 写真週刊誌「FOCUS」で いいとも!司会者の一日として密着取材を受ける
【#11】霊的感受性 聡明 真の理想に向かってしっかり目標を掲げるべき年
毎日きちんと台本が用意されていて、リハも必ず行われていたいいとも!。しかし早くにスタジオに到着しても様子を眺めてるだけで何もしない。
リハには参加しないし、台本変更を聞いてる風で聞いてない。「毎回毎回、成り行き任せで」やっていたという。「読んでもしょうがないし、台本通りにはいかないから」
はミュージックステーションでも同じだったという。
さらにこの時期のインタビューで必ず、長寿番組の秘訣を聞かれ、ほぼ同じ答えをくり返していた。
「反省しない、計画立てない、終わったものは仕方ないで、気にしない。力まない。強いて秘訣といえばこれだね。」(95年週間読売)
「やる気がないことでしょう。笑 いちいちやる気出して、反省していたら、2年でバテちゃいますよ。あなた任せでやる気なく、人が用意したものをやって自ら何も発言しない。なぜなら責任を取らなくて済むから。後に引きずらない。やったことはすぐ忘れる。以上が長寿の秘訣。まぁこれが俺の性格でもある。」(94年 sophia)
「秘訣はやる気を出さないことですって。いや、スタッフにはやる気は必要ですよ、でもタレントにはなくて大丈夫。いや、やる気はないほうがいい。
流されなきゃできないですよ。毎日今日の反省とかして、あそこが悪かったから明日はこうしよう、なんてやってたらこんなに何年も続かないでしょう」(98年ターザン)
責任を取るのがただ嫌だから、他人に流されるままにやってきたという持論だ。これはポリシーでも美学でもないらしい。彼の中の潔さのブレない真髄が現れている。
顔に特徴がなく、真面目に観察し続けた独特の模写のセンスが時代のインテリに受け今に至るのだから、これらは彼なりの知的で聡明な照れ隠しだ。そしてこの辺りからタモリの発言はサラリーマンや若者に広く、力の抜き加減の格好良さから理想と支持されるようになる。
不真面目で、適当なやり口で、ネタ切れしてしまうような即興芸を繰り返し、本当に準備も努力もしないでのし上がった人ならば、こんなセリフは到底吐けないだろう。
2001年 11月 56歳 いいとも、ミュージックステーションを初の欠席
【#6】2000年頃から番組でタモリが仕切ることはほとんどなくなっていた。他の出演者や若者を立てて使うことが上手だった。
彼が手綱をひきつつ、出演者の面白さを十二分に引き出してテレビの世界で安住しているというスタイルは、キワモノ時代を知らない若い世代からもどこかマニアックで器用な変なおじさんとして人気が高まって来ていた。そんな折ゴルフ中にこめかみにボールが当たって負傷し、入院検査で初の番組欠席をする。
周囲への教育がここで生きていたため、番組はタモさん愛で包まれ、万事ことなきをえて進行された。
2002年 4月 いいとも5000回放送 ギネス記録登録の快挙 8月 23年マネージャーだった前田猛が死去。
【#6】喜び活動する 死別などの身内問題から内面を養う時。
ギネス達成後、4月から翌年3月までTVガイドの創刊40周年CMに出演し、世界各国の言葉のバージョンも作られた。
2004年 10月 59歳 TOKYO坂道美学入門 (書籍)発売
【#9】還暦を前にして幼い頃からの坂道愛とそのマニアックな博識が、長年の趣味観察の集大成となって、その視点は広く共感を呼んだ。
2006年 1月 矢野顕子と 短編映画「やどさがし」12分 で効果音、声、全て二人の発声で作る
【#10】過去手がけてないものに霊感を受けるとき。人や自然界とのつながりを感じ、お家芸で新しい分野に才能を生かし話題に。
2007年 2月 ジャズレーベル設立 5月に第一弾、12月に第二弾CD発売
【#11】ジャズCDコレクションの遺品を頼られて大量に買い取るなど世の中に貢献しつつ、愛するジャズへの趣味を積極的に発信し掲げたとき。
2007年 11月 タモリ教授のジャズ講座 昭和女子大にて講演
【#12】ナチュラルパターンの打破。ユーモアとユニークさでジャズを受け入れてもらおうと、女子大という場所とのコラボでプロモーションした。
2008年 2月 62歳 オールナイトニッポン40周年記念番組で タモリのオールナイト放送
【#12】コラボレーションによる自己回帰。長く芸能界に貢献し、協力し合っていることで賞賛や支援を手に入れ始めた頃でもある。
2008年 8月 赤塚不二夫 死去 告別式でお礼を伝えた弔辞を読む
【#13】創造と破壊。死のナンバー。本来の自己回帰へ向かうサイクル。告別式で白紙の弔辞を7分56秒涙堪え読み上げた。 赤塚に生前感謝を伝えなかったが
それは肉親以上のつながりに感じていたから他人行儀な気がして赤塚も同じ思いだったことを知り「私もあなたの数多くの作品の一つです」と結んだ。
2009年 日本一楽しいヨットレース「タモリカップ」開催 以後 2019年に閉会の案内が出るまで10年続く
【#14】たくさんの協力者スポンサーに支えられたのは、彼の周りの人脈と構成力。輝かしい統合力で、一般人も楽しく参加できる自由なレースの実現。
2009年 7月 人間ドックと白内障手術のため 入院、二度目となる番組欠席、5日間の休養。
【#14】健康状態は良好。病気も治癒に向かい心配ない時で実際には、大事に至らなかった。
2010年 4月 伊丹十三賞受賞 タモリとしか名付けようのないメディアを持ち込み 独自の話芸と存在感を発揮する稀な才能と評価された
【#6】力を抜いてユーモアを持って生きていくと良い時。安息を意味するchallenge7が程よく聞いてきている時。
2013年 タモリ倶楽部 ギャラクシー賞テレビ部門特別賞受賞、 10月 いいとも終了を番組内でほのめかす
【#10】 より自分らしい流れへと直感の力で大いなる変化をする時。共演者の中でも信頼を寄せていた中居、鶴瓶との質問に答える会話の中で、自然な形で公表した。
2014年 3月31日 笑っていいとも!最終回を迎える 全8054回「生放送バラエティ番組単独司会最多記録」にギネス認定された。
【#10】最後の方は久米宏、萩本欽一、安倍首相が登場したり豪華な面々がテレフォンコーナーに現れ、前夜祭だ葬式だと揶揄されたが2014年 9月より サントリーCMに出演、 10月 菊池寛賞受賞 日本の笑いを確信したと評価 12月 紅白の審査員に。31年ぶりの出演となる。
【#10】いいともを終了して自由や理想を創造する生活というだけでなく、体調を崩すことも増えてきた夫人とともに豪華客船クルーズ旅行に出かけるなど
魂の絆を信じ、体のバランスを取るようにしていく生活に入る。2015年は晴れて日中動き回れる身となったためしばらく休養していたとされる。
2016年 12月19日 71歳 SMAP✖︎ SMAPのビストロ最後のゲストに登場する。
【#12】判定はしない。人生で判定なんてどうでもいいこと。どっちも美味しかった。として判定なし。メンバー全員に用意したプレゼントを贈り和やかに。
協調することでより安定した世界を生み出す。そんなエネルギーに包まれた回だった。この年末にはゲスト出演でマツコと紅白に出演。
2018年 夫人の出身地である市の ふるさと大使に就任(〜2020年6月)
【#14】人生のパートナーである奥様との縁がある年に。またこの年は変化を与えてくれる人との出会いもある。家族問題。不倫疑惑も囁かれ記事にもなった。
2019年 4月30日「FNN 平成の大晦日 令和につなぐテレビ 知られざる皇室10の物語」 総合司会を務める
【#14】構成力をもつ。 変化やロマン、知的分野で新しさを切り開く仕事が ヴァイブレーションを増大させる#14は 彼のバラエティの姿で知り得ない博学で身をわきまえた堅実的魅力、安定の語り口が開花していた。
◉森田一義のリーディングを終えて、数秘から学んだこと
タモリの最終サイクルは50代から19−10−1。まもなく50を迎える私のソウル数19−10−1と同じです。
私が気づかないでいる、本当の魂の欲求や 根底に流れる生き甲斐のようなものは。。。そう、今のタモリのように自分はかくあるべきという、自己信頼なのだと思いました。
数秘に出会い 私が得られたと思っている学び、気づき。
それは 目の前に現れる 人物や事象を通して経験を経て 深く豊かになるのが人生の目的ではないということでした。
生まれた時からすでに装備している、カード【ナンバー】を認めることで いま面してる事象や問題は 内側から良い形で解決していけること。
自分の手持ちのカードを良く理解しないで 外へ探しもの見つけに行かないこと。それが人生の目的ではないことを数秘で教えてもらいました。
青い鳥は 探しに行ってもどこにもいなくて、自身の内に秘められています。
人生はさまざまなエゴにいつも邪魔されて、捕まえられないけれど 実はそこに有ると信じ感じられるために。
そのための確認作業が 数秘を読み解く事、でした。
数秘リーディングは 本来の安らぎや幸せ、真のチカラをみつけ、感じる事が出来る 未来への "扉"です。
誰かのその"扉の鍵"を開けるお手伝いが これから始められたら幸いです。
reported by Tamami Kawamimami






