性別を超えた唯一無二のカリスマアーティスト ピート・バーンズ | naomi cafeにようこそ 目に見えない多次元のこと

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 性別を超えた唯一無二のカリスマアーティスト ピート・バーンズ

 

 

ピート・バーンズ (Dead or Alive ボーカル) 
本名:Peter Jozzepi Burns (ピーター・ジョゼッピ・バーンズ)
1959年8月5日イギリス・リバプール生まれ。
2016年10月23日57歳 死去。
私が大好きなミュージシャン、ピート・バーンズに出会ったのは11歳の時。
ブラウン管に映る美しい顔立ちにボリュームのあるロングヘア。
ディスコミュージックに合わせクネクネ踊りながら歌う外国人・・
こんなに美しい男性っているのか!しかも衣装がTバックでお尻が見えている・・・。
いろんな意味でハートを打ち抜かれた思春期の入り口にいた自分。
あの衝撃は忘れられません。
17カ国で音楽チャート1位をとり巨万の富を得た美しい男ピートバーンズは
美容整形のトラブルが尾を引き結果、一文無しで2016年10月に逝ってしまった。
ピ-トの人生を追悼の意を込めリーディングすることにした。


<誕生数(生まれ持った資質、才能、潜在能力)#19-10-1>

 

1987年大ヒット曲『You spin me round』当時のピートはとても美しく自信に
満ちていた。まさに#1のマチュアな理想が高く孤高のヴォーカリスト。


美しい顔立ちと長身で中性的なボディライン、露出の多いファッションからこぼれた
滑らかな肌は性別を超えた妖艶さ。メイクをした他の男性ミュージシャンの中でも
ピカイチの美しさで『唯一無二』、また時代を刷新するインスピレーションと創造力は
独特のオリジナリティ#10を生きていた。


ピート自身から発せられるオーラは、いくら奇抜なファッションもメイクも彼の魅力を
遮ることはできなかった。
#10『再誕生』と共にカルミックナンバー#19『力』を持つ。
デビュー当時から音楽業界にへつらわず業界のビジネス戦略には乗らず『自分のやりたい
ようにやる』一貫したポジティブマインドでミュージックシーンで大成功を納めた。
『売るための商品』として新しいアーティストを貪るのに忙しい音楽業界人は何故、
これほどまでにブレイクしたのか理解不能だったようだ。
『メジャー路線を狙ったことはないし、マスコミに迎合する気は無かったからね!』と
言い放っていた。


もちろん自信満々で言うことを聞かないピートに業界の風当たりは強く、母国イギリスで
アルバムが発売できないような窮地も体験している。
全世界でのアルバム総売上は2000万枚を超えた。
権力に屈することなく、従属せずに自分をクリエーションし続けたことは自立し
本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していた。


<運命数(人生における使命や目的)#11-2>


揺れ動く#11はパーソナリティ#5の勢いとともに音楽センスに反映されマチュアな
天才的、理想に向かう揺るぎない意志が存分に発揮されていた。
オレオレで業界に上から目線のピートは当然のごとく音楽業界で叩かれる対象になるが
それに屈することはなかった。
晩年『落ちぶれたセレブ』が出演する番組のオファーがあった時も『歌うこととファッショ
ンとメイクは自分でする』と言う#11オレオレの条件を飲ませメディアに再登場。
ピート・バーンズという人間を崩すことはなかった。彼の仲間を守ろうとする博愛精神は
時に攻撃的で相当な毒舌であった。


<ソウル(魂の欲求)#6>
調和と美の#6
万人受けは関係ないピートの個性的ファッション、やはり美的センスは抜群。
メイクが本当に上手で顔面崩壊からの再建術後も巨大になった唇も逆に生かし
カラーウイッグを合わせピートワールドを貫いていた。
またトラブルの多い家族関係であったが母親を大切にしていた。父親に影響されるとも
言われる#6。父親は軍人で感情を表に出さなタイプ。無口で社会的にガチガチの軍人と
奇抜で破壊的なパンクな息子。ものすごいコントラストだ。
アル中の母とピートをおいて別居した父の行為は、ピートにとって裏切り以外の何もので
もなかっただろう。

 

 

<人格数(社会的な仮面)#14-5>
胸に火種を抱えている#5は『行動、チャレンジ、自由』
#14カルミックナンバー『自由』


ピートの母親はドイツ系ユダヤ人で元女優。ユダヤ人迫害に遭い、母国ドイツを離れ
オーストリアにいる時にイギリス軍人ピートの父親と出会い結婚。


言葉も通じず、慣れないイギリスでの田舎暮らしでもユダヤ人差別を受け、同居した義母
と折り合いも合わずストレスでアルコール中毒となる。


『朝から安定剤と一緒にシェリー酒を2杯のみ、時に暴力的で家の中が破壊されてたよ』
と話している。また父はそんな妻に関心を示さず、母は自殺企図もあり、ピートは小さな
頃から母から目が離せず看病し心配し続け、とうとう14歳で学校に行ず働き出した。


父の助けがもらえずに一人でアル中の母を支え、育った環境が複雑だったピートは
『トラウマとも思ってないよ。そこにフォーカスしてきて来なかっただけかもしれないけ
ど。』と少し寂しげに話していた。


家族の中のクレイジーな問題を経験し#14『真の自由』を見出して行く上で自己表現を
爆発させられるのがロックシーンを破壊する勢いで殴り込んできたチャレンジャー的な音
楽ジャンル、パンクだったのだろう。生まれながらにしてカリスマ性があったピートのパ
ンクファッションは人気があり、既製品をリメイクして妻と服屋をやっていた事もある。
#14男性性と女性性を錬金術的に融合し両生具有を思わせる不思議な魅力。


晩年、整形の施術ミスで全財産をつぎ込んで顔面再建術を施し、一時は命の危険も経験。
イタリアで良い形成外科医との出会いで見事に業界に復活。


#14を持つ人は、佇まいが儚げで魅力的で、ほっておけないカリスマタイプが多いが、
ピートも漏れなく当てはまる。19歳で働いていた美容院で出会ったのちに妻となるリンと
は相思相愛で強い絆で結ばれ、深く愛し合っていた。ピートが一文無しになった晩年、離
婚していたが亡くなるまで支えていたようだ。

 

 

 


<実現可能数(今回の人生での可能性、実現したい事)#3>


彼の音楽センス、オリジナリティは日本のバブル期絶頂のタイミングで発売され
新音楽ジャンルのディスコミュージック『ユーロビート』ブームの立役者だった。
好景気の日本の若者の人生を彩ったピート自身も勤勉で優しい日本人のエネルギーを

魂で感じてリスペクトしており、親日家だった。


#3のミッションは精神的な喜びを人に与えること。人に未知の光を投げかけること。
自己のクリエーションの結晶である音楽を通じ、オーディエンスの感性を爆発的にダンサ
ブルに突き動かした。ピートはバブルで盛り上がる日本のディスコシーンをセンセーショナルに盛り上げたのだった。


・・Stage 活躍する舞台


#4ピートのインタビュー動画で見たセンスのいいロックなインテリア、綺麗に片付いた
クローゼットを見た時にコツコツと几帳面さを感じた。
派手な外見だが内面はナイーブで口調も淡々としている。派手な業界とは裏腹にコツコツ
と努力していた上での成功のステージと私は解釈した。


・・Challenge 挑戦する事
#6アル中の母親に子供時代から献身的に愛を捧げていた。大人になって仲間から愛され
て守られていたのは、ピート自身が奉仕的で愛の人だったからだろう。


・・Nature 自然と醸し出す雰囲気
#1 『斬新』という言葉がピッタリ。そして音楽界を『革新』した。

 

 

 

・・Action 行動パターン


#2 愛とは尽くす事。フェミニンで感受性豊か。博愛精神で誰かを守る時は相当な毒舌。
自分を貫いていたピートは感情がストレートに行動に現れていた。


<Type II自分が輝くために与えられた特質的な個性>


・・Growth(魂の成長、何かを成長させる力)


#5 経験、変化する事で成長する。家族問題とセット。


母がアル中、自殺企図、父との別居と痛い家族問題を幼い頃から抱え
母親を気遣いながらも十代で自立し始めた音楽で大成功をおさめた。


・・Maturity (完成度、成熟度、集合意識へのシンパス)
#1 表現や解放を求めるヴァイブレーション。既存を打破する集合心理の統率。
人のニーズがわかる。


十代からパンク系ファッションリーダー。1970年代に発生したパンクはモヒカンに革ジャ
ン、メイク、音楽性も行動も破壊的であり世間に嫌われており、ピートはクラブの出入り
も禁止されたほどカリスマ的に目立っていた。


<Type Ⅲ>
Balance -2
後天的に様々な経験をしながら、たくさんの資質を得る。

 


[History]
☆0-35歳
学ぶべきテーマ #8
状況  #13-4
課題 目標  #3


生まれてから世界でブレイクする27歳までイヤーサイクルが高い数字の二桁が続く。
10代の頃、家族関係や仲間の関係で痛い経験が多い。
大サイクル#8で音楽で大成功を収め、アル中の母の面倒を見ながらコツコツ続けた音楽
で#13-4努力が実のり、そして数年後に母は逝った。#3の音楽のクリエイトでエネ
ルギーを解放し相手の感性を動かしていたように思う。


・1959年(0歳 #19)


 イギリス軍人の父とユダヤ系ドイツ人の母の元にイギリス・リバプールに
生まれる。
#19はカルミックナンバーであり誕生数と同じ。揺らぐエネルギーでキツイ経験をしなが
ら自分軸を持ち、世の中により高いレベルの経験をシェアするために生まれたようだ。
・1963年(4歳 #23)この頃から容姿にコンプレックスを感じていた。
鏡をみては『This isn’t me!!』と言っていたと言う。
また絵を書くのが好きで顔や体に絵を描いて楽しんでいたということから#23-5好奇
心旺盛で多才さの片鱗が見える。


・1973年(14歳 #24)


#24-6家族の問題と向き合いつつ、自分らしさを持ちながら母に奉仕。
学校中退。父はアル中の妻に愛想を尽かし別居。自殺企図を持つ母を支えながらメイクを
し奇抜なパンクファッションでレコード店、服屋、美容院で働き始める。

 


・1980年(21歳 #22)


#22-4現実から相当厳しい経験を経て変容。
Dead or Aliveメジャーデビュー。5年間コツコツ続けた音楽活動が花開き始める。
8月8日ヘアサロンの同僚、美しく明るいリンと結婚。
『自分のジェンダーは何?ゲイ?よく分からなかったよ。もうどうでもいいこと』と
話していた。


・1984年(25歳 #26)


#26-8繁栄 #22-4のデビューからの頑張りで見事に大開花!
『You spin me round』が17カ国の音楽チャートで1位獲得。爆発的なセールスとなる

 

 


・1987年(28歳 #2)


#2学びと自立 向き合い続けてきた母がツアー中に肺がんで死去。
アル中の母親だったが『ママが大好きだった』と語り、腰に母への追悼のタトゥーを
入れた。


ここから事実上も精神的にも息子としての学びは終わり自立へと向かう。
日本でブレイク。大金を手にし、コンプレックスだった顔の整形を始める。


・1989年(30歳 #4)

 

#4安定の人気 アルバム『Nude』日本オリコン音楽
チャート1位獲得で大金を得る。


・1990年(31歳 #5)#5変化 アルバム『Fun The Fleme』リリース。
Dead or Aliveメンバー2名折り合いが合わず脱退。日本ではバブル崩壊。


・1994年(35歳 #9)#9自己再生に向かう。

 

残ったメンバーのドラマーのスティーブ・コイとともにオファーを受けイタリアの
ハウスユニットとコラボ。


☆36-44歳
学ぶべきテーマ #5
状況  #11-2
課題 目標  #1


#5決めないで自由にチャレンジし変化していくと言う学び#11-2揺れ動く中で自分
軸を立てて#1オリジナルで生きることへチャレンジの時。


#5体に関することや音楽業界とのトラブルで手痛い経験が連なる時期となっている。


・1995年(36歳 #10)意識や身辺の断捨離の時。


アルバム『Nukleopatra』リリースするがイギリスではレコード会社とのゴタゴタで
発売できず、アメリカでも発売が遅れた。日本では発売された。
・1997年(38歳 #3)視野の拡大の時。イギリスの音楽業界とトラブル続き。


・1998年(39歳 #4)軌道修正の時。

 

思うように稼げなくなったのだが一番コンプレックスの唇の整形を始める。


・1999年(40歳 #5)運命的トラブルパターン。

 

経験で変化せざるを得ない時。
コンプレックスだった唇をふっくらさせるために注入したジェルが何度やってもしぼんで
しまい、医師の勧めで頻回に注入を繰り返し、のちに健康上の大問題が起こる。


・2000年(41歳 #6)自己表現、

 

喜び活動しながら面の成長を目指す時期。
日本のレコード会社からの依頼でアルバム『Fragile』を日本のみで発売。


・2002年(43歳 #8)#4の時から始めた整形手術が思わぬ展開になる。
顔面崩壊、生命の危機。唇に激痛が走り受診すると沢山の肉芽腫ができており手術。
しかし傷は癒えず激痛がおさまらず肉芽腫は全身に飛び、重度の腎不全まで起こしてしま
う。強烈に体に出てしまったようだ。医師に対し損害賠償請求を起こし和解するが美しかっ
た口元は元に戻ることはなかった。


イタリアでの顔面修復手術を受け、命の危機に晒された時、恋人のマイケルは痛みに苦し
み鎮痛剤、安定剤で気が狂いそうになっていた瀕死のピートに寄り添い看病。顔と体が落
ち着くまで1年半もかかってしまう。


#8体と心の健康について死もちらつく状況で金銭面、命をつなぐためのコントロールが
必要だった。


手術費用は何と1億円にもなってしまった・・。結果、全財産を使い果たし3億円の豪邸
もヒット曲の著作権も手放す。またマイケルと恋に落ち、20年連れ添った妻のリンとも
離婚。


・2003年(44歳 #9)手痛い断捨離と新しい風が吹く時。


とにかくお金がなく離婚もして孤独だったピートに仕事が舞い込む。
落ちぶれたセレブが1週間共同生活をするTV番組『Big Brother』のプロデューサーから
のオファーだった。まだ顔、全身の肉芽腫の治療途中で激貧状態のピートは背に腹は
変えられず、衣装は自分で選び、歌を歌うという条件で出演する事に決めた。


この時もまだ顔面や体の痛みを抱えていた。
ベストアルバム『Evolution』を久々にイギリスでリリース。基本的に出している音楽アル
バムはオリジナル曲のリミックス。既存の曲を常に変化をさせていったところはピートの
精神性が現れている。90年代の全盛期のイメージを求めるオーディエンスには賛否両論
の評価だった。


☆45ー53歳
学ぶべきテーマ #5
状況  #6
課題 目標  #2
#5引き続きチャレンジ、変化がテーマ。#6同性婚し家族を得る。欲や執着心を断ち
切るような状況が現れる時。#2平和に生きるために自分に革命を起こす。内面の調和と
統一を図るのが目標となる。


・2004年(45歳 #10)
#10大いなる変化
TV出演が決まり、また『顔を美しくしないと!』と整形を繰り返したと言う情報があっ
たが実際は『肉芽腫の治療と顔面再建を続けていただけ』と自叙伝にあったようだ。
すっかり別人の顔立ちになったピートをマスコミは色々書きたて痛いことではあったが
世間的には人気が出て収入に繋がる。


・2006年(47歳 #12)自分の殻(観念のパターン)を見つけるために誰かと
コラボレーションをすると良い時期。

 

ソウルメイトと語るパートナーのマイケル、TV番組
にはお金のためにオファーを受けたのはミュージシャンではなく『ピート・バーンズ』と
しての出演。ピートの殻を壊し、新たな人生の活動領域が広がったようだ。
目の前のことを粛々とやると言うタイミングで自叙伝出版。
またライフワークの音楽でCDを発売すると全英5位を獲得!経済的に安定。
再び富が回ってきた。

 

 

 

 

・2007年(48歳 #4)電撃婚しやすいタイミングでマイケルと同性婚。
他のTV番組にも出演。


・2008年(49歳 #5)家族の問題が出やすくなる時。ソウルメイトと話していた
マイケルの浮気とDVで悩むピート。コアのパーソナルナンバーと重なり痛い経験となる。


・2010年(51歳 #7)内省と探求の時期。
ベストアルバム『That’s The Way I like it』発売。
ピートにとって生涯最後のアルバムとなる。CDジャケットは90年代の美しい顔だった。


☆54歳~
学ぶべきテーマ #6
状況  #14-5
課題 目標  #2


#6今までの痛い経験、成功から真善美を見出すがテーマ#14-5人生はチャレンジ。
その学びの過程は痛い状況を経て真の建設的な自由を学ぶことになる。#2変化を受け入
れていくこと。


・2015年(56歳 #12)人生のプラクティス。鬱々しがちな時。
家賃不払いでアパートを追い出され、その後破産宣告。


・2016年(57歳 #13)死と再生の時。10月23日、急性心不全で死去。


破産後、元妻のリンが救いの手を差し伸べて、最期は愛するリンとマイケルに見守られ
息を引き取った。


世間がピートとライバル関係と見ていたピートが比較されて嫌がっていたボーイ・ジョー
ジが、お金がない状況を知り(売名行為とも思えるが)葬儀の資金を援助したいと申し出
て話題となった。
死因の詳細は不明とされるが最終サイクルで『お金のために生きる』に向いていたピート
は自分を偽って体に出てしまったのかもしれない。

 

 


<愛しのピートバーンズの人生をリーディングしてみて>
ピート・バーンズの生き方は、既成の概念を超えた独自の世界があった。
そんな彼に私は腹の底から不思議なほど強く惹かれた。


私の人生テーマ#7『極めること』#5『チャレンジ、変化、自由』で#3『オリジナルの自
分をクリエーションして行くこと』のエネルギーが小学生の私のタマシイ部分に共鳴した
ように思う。

 

肉体は未熟で経験が浅くとも魂では年齢が関係なく不変の意志のしなやかな
強さがあり目指すものが『宇宙真理』であり、魂は『繋がっている感=ワンネス
』を感じた。


今の私は、ピートと同じコア#2-11の揺れ惑いの窮屈さを火種に変化し、数秘を学ぶ
ことで左脳を使い、感覚的なものとの調和でオリジナルのマルチな自分軸を立てることに
チャレンジ中である。


ゴシップ的にはピートの人生は『整形に取り憑かれたロックスター』『整形マニアの悲惨
な人生』と表現され、愚かな男として書かれていた。


確かに彼は4歳の頃から鏡を見て『This isn’t me!!』と肉体とタマシイの感覚に違和感が
あったと語っており、顔の整形を始めたのは事実。運悪く医師の施術ミスで顔面再建にお
金を費やし、生きるためにお金にフォーカスした晩年、破産し亡くなってしまった。


ピート・バーンズの情報を集め調べてリーディングするうちに『唯一無二で自分を貫いた
素晴らしく美しいピート・バーンズ』という、いちファンのえこひいき発動で、胸がざわ
めき苦しかった。


何が真実か?きっとピートは落ち着いた口調で『 I don’t care.(どうでもいい)』と言い放
つだろう。


11歳で超個性的なピートに心奪われた私は27年後、イギリス人と出会い結婚。
ピートが亡くなった事も、リンと入籍した日が私たちと同じ8月8日だった事も
私の主人が知らせてくれた。


私もピートのコアと同じ#3、2、5、主人は#3、14-5を持つ。
なんともかんとも縁を感じて感慨深い。


多感で苦しかった10代、社会に出て従属関係に苦しむ20代の私を支えてくれた
ピートの音楽、それをきっかけに私も音楽活動で自分を表現する事に喜びを覚えた。


高校生の時に彼の愛した赤いバラの花束を持って会いに行くのが夢だった私。


今年、ちょうどピートの誕生月8月にロンドンのピートが眠るお墓に行くことが出来そう
だ。またひとつ私の夢が叶い、何かが大きく変容していくのだろう。
自由を体現し、胸に火種を持ち変化し続け自由を極めていくことを私に教えてくれた
ピートに尊敬と愛を込めてレポートのまとめとする。R.I.P
Mizuho