記事を書いていて
突然すべてが消えてしまうことほど
ガッカリすることはないよね?
気を取り直して書こうと思っているんですけど、
どんな出だしで書きはじめたんだったっけ…![]()
↑この本の著者である高野さんは
自分の目的や夢、野望のために必要なら
見たこともないような文字も
聞いたことがないような言葉も
どんどん吸収して使いこなせるようになった
というノンフィクション作家です。
この目的とか夢というのが
アフリカの奥地に住むという幻獣を見たい
とか、
中央アジアの危険地帯でアヘンを栽培したい
とか、
破天荒なものばかりなんです。
まさに野望![]()
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なのでこの本の中には
トンデモなエピソードが満載です。
彼にかかったら
かのマザーテレサも脇役として登場するのみ![]()
リンガラ語だとか
バンギ語だとか
シャン語だとか…
今まで聞いたこともない言語、
そしておそらく私たちはこれからも聞くことがないであろう言語を
次々と高野さんは習得していくのです。
そのトンデモなエピソードとともに…![]()
彼はコミュニケーションというのは
口から言葉を出すだけではなく
目や手足や表情、
そして体全体を使って伝えていくことだということを、この本の中で書いています。
その通りだと思います。
この本はそんな高野さんの野望を軸にしていますが、そのために必要だった〈言語習得の旅〉について書かれた旅の本であるとも言えます。
この本を読み進めていくと
高野さんの言語に対する深い理解力を垣間見ることができます。
それは日本語についての記述のところです。
具体的な例を挙げて説明しよう。
日本語でビール瓶や鉛筆を一本(いっぽん)、二本(にほん)、三本(さんぼん)…と数える。
本(ほん)という助数詞が(ぼん)にも(ぽん)にも変化する。
昔、中国語の音が日本語の音に入ってきたときに生じた現象らしい。
また「小雨」は(こあめ)ではなく(こさめ)と読む。ko-ameと母音が続くのが日本語として違和感があるためにそう変化したとされるが「小梅」はやはりko-umeと母音が続くのに(こうめ)であり(こすめ)にはならない。
他国の言語を理解するには
やはり文法は欠かせません。
自国語についてしっかりとした文法が身についていないと、それを多国語に応用するのは難しいのかもしれませんよね。
そしてもうひとつ。
口語としての言語です。
マンガでは
「じゃ、もう行くから」
とか
「そんなの困るよ」
という普通の日本人の喋り方が出てくる。
そういう日本語こそが「ネイティブの話す言葉」であり、私がタイ語学習に求めていたものであった。
約1年間、タイで日本語の教師をしていた時に、
高野さんは「東京ラブストーリー」という漫画を使って授業を行なっていたそうです。
柴門ふみさんのこの漫画は
当時の日本では絶大な支持を受けていたもので、
ここにある〈生きた会話〉を
高野さんは授業に取り入れていたようです。
旅慣れた人たちの中には
〈言語の猛者〉というべき人たちがいて
その国に入りとまず
その国の言葉を教えてくれる学校を探して
一、二週間勉強しながら
その土地で知り合いを増やして
どんどん言葉を吸収していくようです。
かつて、
私も旅をしている時に
そうやって言語を習得してきたという
バックパッカーの人たちに
何人も出会いました。
まぁ、なんといっても
まずは野望が先‼︎
で・す・よ・ね〜〜![]()
