またまた図書館にリクエストしていた本が届きました。
「利他」とは何か
という本です。
そもそも利他とはなんでしょう?
他人に利益を与えること
とか、
人々に功徳や利益を施して救済すること
というような意味です。
天変地異やパンデミックが世界を覆うような世界で
利己的にならず
他者と共存していくには
「利他」ということをどのように考えていけばいいのか?
この問題について
5人の研究者がそれぞれの立場で論じたのがこの本です。
第一章 美学者の伊藤亜紗
第二章 政治学者の中島岳志
第三章 批評家、随筆家の若松英輔
第四章 哲学者の國分功一郎
第五章 小説家の磯崎憲一郎
という5人の方々が
それぞれの視点から論じているわけですが
いや〜、どの論考もとても深く、大事なことが書かれていました。
各章で一冊の本に値すると思います!!
が、中でも私の中で特に印象深かったのは
第一章の伊藤亜紗氏の書かれていた内容です。
彼女は障害を持つ人の11のエピソードをもとに、
体に蓄積する記憶と知恵を論考した
記憶するからだ
という本を上梓しています。
ですから、本の中で↓のような問題提起をしています。
障害のある人と関わるなかで、利他的な精神や行動が、
むしろ「壁」になっているような場面に数多く遭遇してきたからです。
「困っている人のために」という周囲の思いが、
結果として全然本人のためになっていない。
利他は利他的ではないのではないか?
そんな敵意のような警戒心を抱くようになっていたのです。
そうした出発点から、純粋な利他であることはどういうことか?
ということについて話が展開していきます。
誰かに「やってあげた」という気持ちが湧いてきたら
それは利他ではない。
誰かに向かって「あなたのためにしたのに」となれば、
そこには利己が頭をもたげているし、
相手をコントロールしようとする意図さえ垣間みえる。
こういった現実の中で
<利他であることの難しさ>について論じているのです。
この本において、私には
伊藤氏が引用している二つの文章が心に残りました。
一つは信頼と安心について書かれた山岸俊夫氏の文章です。
信頼は、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、
相手の(自分に対する感情までも含めた意味での)人間性ゆえに、
相手に対してひどい行動は取らないだろうと考えることです。
これに対して安心は、そもそもそのような社会的不確実性が存在していないと考えることです。
これはどういうことかというと
(こうしてあげているんだから喜ぶはずだ)というような思い込みや
(せっかくやってあげたのに感謝の気持ちがない)というように残念に思うようなこと、
こういう状態が安心であり、
一方で、
どんな見返りも期待せず、ただそれを行うこと、
これが信頼だということです。
この違いはとてもわかりやすいです。
で、できれば信頼の方に向かっていきたい。
ただ、残念ながら私にとって道のりは長いです![]()
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安心のところにとどまって
相手に腹を立てたり
相手を遠ざけたりしてきたことは
今までに何度もあるなぁ。。。
という心当たりはいくつもあるからです![]()
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利他への道は長く遠いものですね〜〜。
この章を読み進めていって
ビックリしたのは、
先日読み終えたばかりの
「聴く」ことの力
という本からの引用文が載っていたことです。
↓こちらはその本についての、私なりの感想ね。
他人へのケアといういとなみは、
まさにこのように今の外でおこなわれるものであるはずだ。
ある効果を求めてなされるものではなく、
「なんのために?」という問いが失効するところで、ケアはなされる。
こういうひとだから、あるいはこういう目的や必要があって、
といった条件つきで世話をしてもらうのではなくて、
条件なしに、あなたがいるからというか、
ただそれだけの理由で享ける世話、それがケアなのではないだろうか。
鷲田清一「聴くことのちから」より
すべてがおっしゃる通りであり
そのようになされていくのが
真の利他であるということはわかりました。
まずはそれを知るところから。
けれどもやはり
まだまだ自分は安心のところにとどまってしまっているようです。
葛藤を繰り返しながら
生きていくしかないのだろうなぁ。。。
