「聴く」ことの力 <きく>を学ぶ その1 |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

何日か前に感想を書いた

坂本龍一氏と天童荒太氏の対談本

「少年とアフリカ」

の中で紹介されていた

 

 

↑この本。

 

タイトルの通り

「聴く」ということについての本です。

臨床哲学試論

というサブタイトルがつけられています。

 

実に重厚な内容で

何度も読み返したら

その都度、新しい学びがあるような本なのですが

図書館から借りた本なので

残念ながら、そろそろ返さなくてはなりません滝汗

 

この本の素晴らしさのひとつに

引用の見事さがあります。

 

R・D・レインという精神科医の

著書からの引用にこんな会話があるんです。

 

「五歳の男の子が、大きなふとい虫を手に持って、

母親のところに駆けてきていう。

<お母ちゃん、ほら、すごくふとい虫を捕まえたよ>。

彼女はいう。

<おまえったら、きたないわ。

あっちに行って、すぐにきれいにしなさい>。」

 

この会話のなかで、母親と子どものことばはすっかりすれちがっている。

母親は虫を見せようとする子どもに対して、

会話のなかで次のようなメタ・メッセージを送りつづけている。

 

「おまえが虫を持っているかどうかは、わたしにとってはちっとも重要じゃないー

わたしにとって一番大事なのは、おまえが清潔か不潔かということで、

おまえが清潔なときだけ、わたしはおまえを好きになる」

というメッセージである。

(↑読みやすいように改行を加えました)

 

これはある意味、とてもコワイ考察です。

私はこれを読んだ時にギクリとしました。

 

言葉としてこれを読めば

確かにこの会話がすれちがっているということはわかります。

とてもよくわかります。

 

けれども、このような会話のすれ違いというのは

日常の中でしょっちゅう行ってきているものではないか?

と思わずにはいられない

そういうコワサがあったのでした。

 

このようなすれ違いは

親たちからも受けてきたし

私自身もヒトに対してやってきている気がしたのです。

 

この本の目次に

「迎え入れること」

という章立てがあるように、

相手の言葉をいったん迎え入れるということができていれば

このようなすれ違いはおきようがないのだと思うのです。

 

でもでも、

日頃ワタシタチは

ちゃんと子どもをしつけようとか、

正しいことを話そうとか、

楽しい場にしようとか、

自分のことをもっとわかってもらおうとか。。。。。

 

様々な理由で

相手の話を迎え入れることを忘れてしまいます。

おざなりにしてしまいます。

 

何度、反省してもやっぱりそういうことをやってしまうのですよね〜チーンチーンチーン

 

 

まったく違う時期にリクエストをしていた

↑この2冊の本を

同じ時期に図書館から借りられたというのは

<きく>ということをもう一度学ぶ時期なのだよ、

ということなのでしょうね。

 

大きな課題のひとつです。

 

そして、最後に。

この「聴く」ことの力という本の中で

植田正治氏の写真が使われているんですけれど、

この写真がものすごく心をざわつかせる作品ばかりでして

気になって気になって仕方がないんです。

 

古い。古いけど新しい。

懐かしい。懐かしいけどどこかコワイ。

そんな写真がたくさん使われています。

 

このヒトの写真集も探してみたいと思います。