長年の、謎が解けた気がする ーお染久松ー |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

夜も深まってから、

NHKで文楽のお染久松を上演していて、

その解説がいとうせいこうさんだったんです。

いとうせいこうさんは縄文土器の映画の中で語っていたことが

私の感じ方ととてもよく似ていたので、

僭越ながら、とても僭越ながら、

<勝手にオトモダチ>感覚を持ってしまっているヒトです。

 

そういうこともあって、

ついつい最後まで観てしまったわけなんですが、

それによって長年の謎が解けました合格

 

小学生の、ほんのわずかな間、

私は日本舞踊を習っておりました。

私が育ったところは、

昔<赤線>と呼ばれた娼婦街のすぐ隣りにあり、

芸者さんの置屋とか見番とかが

すぐ近くにあるような町でした。

見番というのは、芸者さんの練習場のような場所です。

 

そのために日本舞踊を習いに来るオネエさんたちは、

いわばその道のプロの方が多く、

そのプロたちに教えているお師匠さんは、

それはそれはきびし〜〜〜い先生だったのです。

 

で、小学生の、そのわずかな間に、

きびし〜〜〜いお師匠さんに

三味線のバチとがグーの手とかで

叩かれながらおけいこをして、

2回ほど、発表会のような舞台に立たせてもらいました。

その時の演目が「お染久松」だったのです。

 

「お染久松」というのは、

絞り油屋のお嬢さんであるお染と

その店の丁稚である久松とが

道ならぬ恋に落ち、

果ては心中してしまう

という悲恋を題材にした演目です。

 

どーして年端もいかぬ小学生に

こんな心中ものを演らせ、舞台に立たせたのか?

それはたぶん永遠の謎ですポーン

 

日本舞踊の謡いの歌詞の意味など

非常にわかりにくく

どこまでこの演目の意味をわかって演じていたんだろう?

とは思いますが、

小学生は小学生なりに

ある程度は理解をして踊っていたと思うのです。

 

そういえばこの舞台のすぐ後で、

見知らぬおっちゃんに

「お嬢ちゃんは何を演ったの?」

と尋ねられ、

「お染」

と答えた時のおっちゃんの顔ったら笑い泣き

(え〜〜〜??

まさか、あのお染を演ったのが

目の前のこんな小学生だったなんて〜〜〜ポーンポーン

というオドロキに満ちておりましたっけ。

 

私の謎というのは、その少し後。

あれはどこの、誰の舞台だったのか?

日本舞踊を観に行った時に

「お光」

という演目がありました。

 

その舞台ではお光という女性が

だんだんと狂女となっていき

その放心したような眼差しを遠くに向けて

「久松っつぁん、久松っつぁ〜〜〜ん」

と呼んでいる、実に悲しいお話でした。

 

(え?あ?

久松っつぁんって、お染久松の久松っつぁん?

この、お光っていうヒトと久松っつぁんって

どういう関係があるの?

いやそれとも、まったくの別人なの?)

 

はい、↑これが

私の長年の謎だったんです。

当時はググるということもできず、

日本舞踊の内容についてなど

一体誰にきいたらいいのかわからず、

私の中で、謎は謎として、ずっとくすぶっていたのでした。

 

 

その、長年の謎が、

今回、文楽を観たことによって、

お光という人は

実は久松の許婚であった

という衝撃の事実が判明したしました。

 

しかもわざわざ実家まで訪ねてきたお染を見て

嫉妬の心を激しく燃やすものの、

このままでは二人が心中しかねない

という様子を陰から覗くにつけ

お光は自分が尼になって身を引く決心を固めるのです。

実に<あはれ>を誘う筋書きとなっておりましたあせる

 

このお染と久松、それからお光は、

この三角関係をベースにして、

文楽や歌舞伎だけでなく

日本舞踊でも様々な演目が作られていったようです。

これは、「お染久松」が当時ヒットしたために

いくつかのスピンオフの演目ができたためだということなのです。

私が幼い頃に見たお光は狂女になります。

文楽で観たお光は尼さんになります。

 

お光はいろんなキャラクターを与えられて

お染久松の、重要な脇役を演じ続けているようです。

 

 

今回、この「お染久松」を調べていたら、

↑こんな画像を見つけました。

あれ?この着物、

なんだか見覚えがあるゾ!

と、昔の写真を探しましたら、

ありました!!

 

 

↑これは私が演じたお染です爆  笑

どうですか?

とても小学生とは思えない化けっぷりでしょウインク