〈私〉を生きる、ということ その3 ー私の心身的体験ー |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        


親が共働きだったために

私はジイチャンとバアチャンに育てられました。

ジイチャンとバアチャンは<お隣りさん>であって

血のつながりはありません。

 

なので私は生まれた時から

<遠くの親戚より近くの他人>

という言葉を身につけて育ったわけです。

 

うちにもお風呂はあったのですが

私はジイチャンとバアチャンと

銭湯に行くのが好きでした。

 

就学前、4,5歳の頃だと思います。

その頃の私は、銭湯の湯船につかって

ぼんやりと天井をながめながら

考え事をしていました。

 

今から考えると

それは思索だったと思います。

 

誰かにたずねるとか

会話をする、ではなく

自分のなかでとりとめなく

考えているのが好きでした。

 

そこで考えていたことは

「ヒトはなんのために生きているのか?」

ということでした。

 

5歳の子どもがなんで?

と不思議に思うかもしれませんが

その頃、

私は確かにそんなことを考えておりました。

 

 

お風呂の天井、

その隅っこは

こんなふうに板がはられていて

私はその隅っこの形をながめながら

 

「ヒトはなんのために生きているのか?」

を考えている子どもだったのです。

 

ある時

ふとその<こたえ>がわかりました。

 

その時の私がたどりついた<こたえ>とは

「ヒトは死ぬために生きている」

でした。

 

あれから何十年もたった今

この<こたえ>があっているのか

まちがっているのかはわかりません。

 

「こたえの出ないことを考え続けること

それが生きるということだ」

と一照さんは言われます。

 

そういう意味では

<こたえ>だと思ったものは

ひとつの過程に過ぎないのだとも思えます。

 

ですが

5歳の時の思索体験

これこそが私の大切な経験になっているようです。

 

あの天井の模様を見ながら

私はとても自由でした。

 

ジイチャンとバアチャンにはさまれて

私はとても幸せでした。

 

そんな<私>という器から

自然にわいてきた思索の時間。

 

藤本さんは、5歳の時に

おばあさんから座るように促されたのが

座禅のはじまりだとおっしゃってました。

「お線香が消えるまで」

と一言いわれただけで

座れとも言われなかったそうです。

 

たぶん、藤本さんのその経験も

強制的な、苦痛の伴うものではなく

自然に自由にそこにいた

という経験だったのではないでしょうか?

(今度、そのあたりはぜひ、お聞きしてみたいです)