〈徳川家康が生まれた(というだけ!)〉
というお城のすぐ近くに、
私の実家はあります。
そのお城から西に八丁ほどのところに
「八丁味噌」の味噌蔵があります。
赤味噌ってことになってますが、
真っ黒の、いわば黒味噌です。
三河の人間は
「味噌はやっぱ、赤味噌だね」
って言いますけど、他の地方の方には、
お口に合わないことも多いです。
こっちの方が、ややライトな口当たり。
庶民はだいたい、こっちを使っています。
(そういえば、中学生の時に、写生大会で行ったなぁ)
なんて、懐かしい思い出もあります。
この味噌蔵では〈工場見学〉をさせてくれる、ということは前々から知っていたのですが、家から歩いてすぐのところに今さら見学なんてねぇ…と笑っていたんですけどね、
↑この記事の中の鰻屋は、その味噌蔵の近くだったために、もののついでとばかりに味噌蔵を訪ねてみることにしました。
なんだろう、
あまりにも親しみすぎた外観に
ちょっと恥ずかしさすらおぼえます。
でも、歴史ある建物
風情があって素敵です。
江戸時代初期から創業しているそうですが
地震などの天災で建物が崩れたという記録は残ってないそうです。
この石組み、素晴らしい技術です。
味噌蔵の中には、工場見学のために、
昔の仕事ぶりを人形を使って再現しています。
あ、この写真じゃないんだけれどもね。
大豆を蒸して砕いたものをハンドボール大の大きさに丸めたものを味噌玉というそうです。味噌の原材料ですね。
この味噌玉を背負い桶に入れて、二階にある次の工程まで運ぼうとしている人形がありました。
「この背負い桶の中には40キロくらいの味噌玉が入っています。この仕事をしていた職人さんは、この40キロの味噌玉を、下から二階に、毎日150往復ほどしていたといいます」
工場見学は、案内のお姉さんが先導してくれます。それはそれは流暢な説明です。
(ちなみに私の姪っ子も、一時期このアルバイトをしていたことがあります)
実は、この説明を聞いた時、胸がいっぱいになっちゃって思わず涙が出ちゃったのですよ。
江戸時代、そして明治時代(おそらく大正時代にも)40キロの味噌玉を150回も二階に運ぶという仕事を続けた人がいる。
生まれてから死ぬまでの間に味噌玉を運び続けた人。この味噌蔵だけでも時代を追って、なんにんもいたのでしょうね。
結婚したかもしれないし子どもがいたかもしれない。腰を悪くしたかもしれないし、怪我ひとつしない人だったのかもしれない。
文句ばっかり言ってた人かもしれないし、陽気な人だったかもしれない。
ともかく、40キロの味噌玉を毎日二階まで150回も運びあげるという仕事をしていた人がいた、ということ。
名もなき市井の人。
でもたしかに存在していた人。
歴史っていうのはさ、
大名だとか、博士だとか、
元帥だとか、総裁だとか、
そういう人たち〈だけ〉のものではないのよね。
私が育った町のすぐ近くでは、
400年以上も前に徳川家康という人が生まれた。
そしてその何十年後かには
私が育った町のすぐ近くで
毎日40キロの味噌玉を150回も二階にあげていた人がいた。
この両方の人たちがいてくれたおかげで
わたしが存在するし
これを読んでくれている人たちも存在してる。
おちゃらけた気分で味噌蔵見学に行ったのだけれど、
なんかこういう歴史のすごさ、ありがたさに
胸がいっぱいになってしまったのでした。





