<ネオ>じゃなかった  ー映画「無限の住人」 その1ー |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

「勘弁してくれ」
「キムタクが無限の住人…」
「キムタク主演か…頑張れ!!!」
「え?万次役キムタクなの? 合わないなぁ」
「し…主演キムタク…?????」
「無限の住人の実写化キムタクって…」
「キムタク主演はちがくねぇか?」
「主演がキムタクで良いと本気で思っているのか?」
「キムタク主演の無限の住人とかいう大型核地雷」
「キムタク主演の無限の住人に暗雲だな」
「キムタク…もう実写やめぇや…」
クズ映画の予感しかしない
「進撃の巨人越えなるか!?」
「無限の住人の原作好きなんですが監督三池で主演キムタクって考えうる限り最悪な組み合わせで笑ってる」

え〜〜〜(-_-;)

↑これは、映画化が決まった時の、

原作ファンによるネットの声だそうです。

 

http://rocketnews24.com/2016/08/23/790825/

 

ここに書かれているものの、抜粋ですね。

いろいろ、いわれてますアセアセ

 

 

そして私が↓この記事を書いたのが、去年の10月。


 

やっぱりみてこようよ、

ちゃんとみて、感想も書こうよ。

と思い立って、みにいってまいりました。

 

アラカン婦、一人で「むげにん」をみるの巻笑い泣き

 

コミック「無限の住人(略してむげにん)」は30巻あります。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/無限の住人の登場人物

 

そうして↑こんなwikiがあるほど、登場人物は多い。

数えてみたら111人いた。

 

30巻という長い物語の中で、

それぞれの登場人物たちの背景や人物描写がされています。

 

映画「無限の住人」は二時間半と、映画にしては長い作品だけれど、

この中で多くの登場人物のキャラクターを描き分けるのは

しょせん、無理がある。

 

映画は原作に忠実である必要はない。

だから、欲張らずに映画のストーリーに必要な人物だけを

絞り込んだ方がよかったのではないか?

ということは、まず感じたこと。

 

登場させるだけさせといて、

ほどんど出番がナシポーン

なんていうキャラクターもありましたからね〜ショボーン

 

映画をみながらもね、

(なんで、この原作を映画化したかったんだろう?

ということは、ずっと頭の中をグルグルしていた。

 

原作ファンを呼びたいなら、

戦闘シーンを忠実に作ってほしいし、

グロテスクな場面、残忍な場面もちゃんと描いてほしいし、

原作を知らないヒトを呼びたいにしては

唐突すぎるシーンが多いし…アセアセ

 

 

原作の「無限の住人」は<ネオ時代劇>と呼ばれている。

これは連載がはじまった当初からいわれていたようで、

原作を読めば<ネオ時代劇>という言葉に納得します。

 

登場人物は奇抜なファッションが目を引くけれど、

それぞれの人物がきっちりと描かれているので、

奇天烈感はなく、むしろリアリティのある濃厚な人物が多い。

パンクな髪型だろうが、金髪だろうが、

ヒールのある下駄を履いていようが、

ど派手な文様の着物だろうが、

一人の人間として、

(悪役も含めて)、魅力的なヒトが多いのだ。

 

この原作が<ネオ時代劇>といわれるもう一つの理由は、

彼らの戦い方にあるわけです。

おそらく原作者の沙村氏は武器フェチで、

実際に使われたであろう刀剣から、

沙村氏が創作した武器まで、

実にていねいに(というか、楽しそうに)描写されてます。

 

そして登場人物たちはそうした武器を使って、

1人対1人、もしくは1人対数人

で、無骨な、泥臭い殺し合いを繰り広げていく。

 

そんな中で、ただひとり、並外れた身体能力と剣技で

むげにん史上最強を誇るのが

乙橘槇絵(おとのたちばな まきえ)というか細い、華奢な女性。

 

まわりが泥臭いからこそ、槇絵のはかなげな様相からは想像もつかない

華麗な動きと、おそろしいまでの殺傷能力が際立って写るのだ。

こういった<美>も含めての<ネオ時代劇>なわけね。

 

 

 

そういう肝心のところがね〜

残念ながら、すべてはしょられてしまっています…残念チーン

 

原作にも、最後のクライマックスのシーンで、

多勢に無勢という戦闘シーンもあるけれども、

それはストーリーの山場として必要であったためで、

「無限の住人」が<ネオ時代劇>であるという本当の魅力は

あくまでも1人対1人、もしくは1人対数人。

 

だから映画で、

「1人対300人」

というコピーを使うこと自体が、

もう<ネオ時代劇>から離れちゃってるわけなのねショボーン

 

1人対1人、もしくは1人対数人で、

恐ろしげな武器を駆使して、

今までにない殺し合いをする

奇天烈な衣装をまとった男女の姿。

これこそが<ネオ時代劇>です。

 

映画では<ネオ>なりをひそめ、

「1人(正確には3人とコドモ)対300人」これを見せ場にしています。

だったら「七人の侍」を出すまでもなく、

今までにすばらしい時代劇はたくさんあって、

ヒロインを守りながら単調な殺陣で、

敵をバッタバッタと斬り捨てるような場面の繰り返しは

別に「無限の住人」が原作である必要はないわけですね。

 

なので、冒頭に書いたような原作ファンとして、

「キムタクじゃあ…」という以前に、

<ネオ時代劇>ではないなら、

「むげにん」が原作である必要性はどこにあるのか?

というところに大きな疑問符がぬぐえない作品だったのでした。

 

たぶん、つづく〜