「或る終焉」 |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

リアリティがある、ということ。

 

時には必要とされ、時には不要とされる

 

映画を見る時に、私はこの言葉を使うことがよくあります。

 

 

「或る終焉」

 

この映画は、リアリティという言葉を、

 

何度も感じさせられた映画でした。

 

このポスター、美しくないですか?

 

全編を通して、画面がとてもキレイです。

 

カットや構図が洗練されているのだと思います。

 

しかも建物、家具調度、部屋のレイアウト、

 

額縁から食べ物にいたるまで、すべてが美しい。

 

 

壁の色や、かかっている絵画、

 

ランプやソファなど、本当に美しいです。

 

ティム・ロス演じるデイビットが主役ですが、

 

彼は終末医療を必要とする患者や、

 

重度の障害がある患者を介護するナースです。

 

センスのある美しい部屋の中で横たわる

 

終末期を迎えた人間の姿。

 

ここでリアリティという言葉が交錯します。

 

この映画では、人間が病いの中で苦悶する様を、

 

ていねいに、静かに描いています。

 

醜さ、汚さも描いています。

 

エイズでガリガリにやせ細った女性、

 

脳梗塞で体が不自由になった男性、

 

化学療法の副作用に悩まされる女性、

 

孤独を抱えてひねくれた車いすの男性…

 

吐瀉し、排泄し、汚物にまみれる

 

壮絶な人間の終末期を、

 

これでもかとみせつけているのですが、

 

なぜか、その画面には美しさも混在するのです。

 

どこまでも現実的であることと、非現実的であることとが、

 

微妙に絡み合っているのです。

 

終末期というのは、ある意味人間の尊厳が失われていきます。

 

家族の一言が胸にささり、

 

孤独が骨まできしませるようで、

 

すぐそこに迫った死は恐ろしく、

 

苦しみは果てしない。

 

そういう患者に、

 

どこまでもデイビットは寄り添いつづけます。

 

「或る終焉」の原題は「CHRONIC」

 

これは「慢性的な」とか「持病」という意味のあるそうですが、

 

マリファナの品種の名前でもあるそうです。

 

痛み止めの医療に使われる医療用としても使われてきました。

 

そのため、このタイトルが、デイビットの献身的な介護が

 

患者の痛みを和らげるという意味にもなっているかもしれない

 

との見方もあるようです。

 

さてティム・ロス。

 

 

今回はツラい過去を持つナースの役でしたが、

 

 

「海の上のピアニスト」

 

という映画の主役が日本では有名ですね。

 

でも、あれ? 私最近、ティム・ロスみたゾ!

 

と思ったら…

 

 

(なぜかこの画像だけ大きいですが…)

 

「ヘイツフル8」

 

にも出てましたね。

 

彼はタランティーノ学校の卒業生の一人なんだそうです。

 

この「或る終焉」では、制作総指揮も行っています。

 

この映画のラストは長まわしの退屈な映像の後、

 

突然に、衝撃的に終わります。

 

ここにもリアリティがあるともないともいえる

 

生きることの何とも複雑な<終焉>が描かれています。

 

ミシェル・フランコというメキシコ出身の監督です。

 

BGMもなく、静かに淡々した描写。

 

あまり感情的な会話もなく、お世辞や世間話もありません。

 

美しいけど、醜く、

 

果てしなく善良だけど罪深い。

 

たくさんのキーワードが交錯する、

 

美しくも残酷な映画でした。