延命の選択ーDr.マッキーといっしょ |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

介護をしていて、

最終的な判断をしなくてはならない

そんな時がこの先、くるかもしれません。

Dr.マッキーにきいたこの話は、

これを考える時の縁(よすが)となるかもしれませんよラブラブ

身体が丈夫だと、

機械につながれたままでも、

何年も生きていられます。

その時の精神は、そんな状態なのだろう?

まわりの人からは何の反応もなく、

ただ寝たきりに見えるヒトでも、

本人には知覚があって、

ちゃんと感じることができる。

そういう場合もあるんですよね。

でも、そのまま機械につながれて

生きていたいのかどうか?

自分だったらどうなのか?

真剣に考えていきたいですね。

ブルーの文字は、

Dr.マッキーがメールで語ってくれた言葉です。





栄養に関しては、意識の問題よりも、

身体の状態の方が重要です。

意識がなくても身体が元気なら、

胃瘻(ろう)で何年も生き続けるケースもあります。

たとえば両親が、交通事故で意識不明のままの子供に

人工呼吸器と胃瘻で生き続けてほしいと願うのは

延命ではありますが、共感できますよね。

では、何歳の患者なら非難されるのでしょうか?

年齢ではありません。

それまでの家族としての関係性や思いによるのです。

患者さんは生かされてかわいそうだと(医療者は)思うけれど、

そういう家族関係を結んできたのも患者さんの責任です。

良くなる見込みはなく、

「この状態で生きていくのは辛いですよ」と

ご家族に説明しても、

受け入れられなければ、ご家族の意志を尊重します。

患者さんは亡くなった後、何も言いませんが、

家族は訴えたりしますので・・・。

また、暦年齢ではなく、

身体年齢によって、状況は変わります。

単純ではないのです。

一括りに延命なんて言葉で済まさないでほしいと思います。

死は医学的であると同時に社会的で哲学的なもの

なのです。


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