極端なことを言えば,大部分の日本人のキリスト教の知見は,キリシタン,伴天連の時代からさほど変わっていません。大部分の日本人は,相変わらず1神教を諸悪の根元と決めつけ,多神教の1神教に対する優位性の主張しています。その根拠のない優位性による半知半解が広がっています。本日は,その第1段。
「働かざる者食うべからず」
この日本人にも有名なフレーズは,新約聖書のテサロニケの信徒への手紙二の3章10節にあります。日本では,上記のフレーズを,働く機会がない人や,働きたくても働けない人を含めて「働かざる者」と捉え,社会的弱者に対するハラスメントとして用いられることが多い。
本来の意味は,日本で曲解されている意味とは異なります。実際に,上記のフレーズは,新共同訳では,
”働きたくない者は,食べてはならない”(原文)εἴ τις οὐ θέλει ἐργάζεσθαι μηδὲ ἐσθιέτω
となっています。「働きたくない者」とは、「働けるのに働こうとしない者」であり,病気や障害,あるいは非自発的失業により「働きたくても働けない人」のことではありません。
聖書のフレーズは,日本語版よりも英語版のほうが理解しやすい場合が少なくないので,英語版で説明します。NJKVでは,
If anyone will not work,neither shall he eat.
となっています。この文は,いわゆる倒置なので,普通の語順に戻すと
If anyone will not work,he also shall not eat.
となります。ここで,主節の助動詞がshall, if節の助動詞がwillとなっていることに注意してください。shall は,意味上の主語が隠れている場合が多いです。例えば,
Be a good boy, you shall die /大人しくしろ。さもないと死ぬことになるぜ/
の意味上の主語は,I で文の意味は = I will kill you
聖書の場合,shallの意味上の主語は,神様です。すると,直訳は,
働こうとしないものは誰であれ,(神様によって)食べさせてもらえない
となります。
また,日本語の”働く”という言葉にも問題があります。日本語で”働く”の意味は,”お金を稼くこと”を意味する意味が多く,laborに近いニュアンスです。しかしながら,英語版のworkは,日本語の”働く”よりも意味が広く,”社会貢献を行う”をことが含まれます。
この点を強調すると,上記の聖書のフレーズの意味は,
社会貢献をしたくない者は,誰であれ,神様から食べさせてもらえない(神からの祝福を得ることができない)。
という意味になります。ここでは,キリスト教徒にとって,3度の食事は,神様からの賜物の象徴とみなしていることに注意してください。
米国のプロテスタントの方々が,健常なのに,物乞いをしている人たちを忌み嫌うは,このような宗教的背景もあります。わたくしも,この傾向があります。
また,慈善事業に対する寄付する米の富豪たちが多いのも,上記の宗教的背景もあります。いくら多額の所得があっても,社会貢献を行わないと,ツキがなくなる(神からの祝福を得ることができなくなり),自分の富の源泉を失うという考え方に基づいているとも言えます。
しかしながら,近年は,新自由主義のイデオロギーの下で,政府が完全雇用政策に熱心ではありません。これには,私も頭にきています。トラ政権になって,ようやく米政府が完全雇用政策に舵を切ったようです。
私には,巷に敷衍しているフレーズが「働かざるもの,食うべからず」となっている理由は,よくわかりません。ただし,日本でじは,本義を離れて,病気や障害,あるいは非自発的失業により「働きたくても働けない人」を責める言葉になっていることに言葉を痛めています。