恥を忍んで告白します。

私、さっぱり裁縫ができません!!(断言)

 



さっき小さなワッペンを水泳帽に縫い付けたんですが、

かかった時間はなんと40分。

で、仕上がりを見て愕然。

え、なぜ?

・・・なぜ?


でも「日常生活に支障ないし!」と思ってましたが

入学準備にラスボスがいました。

プリントに「体操着、ブルーズに名札を縫い付けてください」の文字。

計算したよね。

私のスピードだと4時間はかかる。

もはや絶望。

そこで、子どもの衣装を手作りするケリー先生に聞いたら

「やりますよー!」と。

もう、マジで救われました。

本当に、本当にありがとう!!

カフェで一緒にチクチクすることになりました!

(私は見てるだけ)



そこで、確信したんです。

「できないことは、無理にやらなくていい。できる人に頼むのが正解」だと。

もしケリー先生に

「なんでできないんですか?簡単だから教えますよ」

と言われていたら、私は憂鬱の沼に沈んでいたはず。

今の私に必要だったのは、

「教育」ではなく「代行」だったんです。

これ、写真も全く同じだなーと。

「写真が上手くなりたい!」という人に、教えるのはOK!

「ちょっと苦手、でも上手くなりたい」ならマンツーマンという選択肢も。

でも、「写真が苦手すぎてトラウマ」「見るのも嫌」という人にまで、 無理やり「写真は楽しいよ!自分で撮ろうよ!」と背中を押すのが、本当に愛なのか?

私は「写真は簡単で楽しい。全人類が撮れるといい!」って本気で思っています。

だから、

「撮れたら、楽しいよ」

「撮れたら、人生変わるよ」

「こんなの撮れたら、嬉しいでしょ」って言っちゃう。

でも、裁縫が大好きな人だって同じことを言うはずなんです。

「縫えたら楽しいよ!人生変わるよ!」って。

いや、悪いけど、私は裁縫に関しては全力で逃げ切りたい。

今、私が育てようとしている「ビジネスフォトコーチ」が、その先にいるお客様に提供する価値だって、もっと自由でいい。

そう考えた。

「マンツーマンで寄り添って、できるようになってもらう」のもいい。

でも、「どうしても嫌なら、私が代わりに撮ってあげる」という救済があってもいいな、と。

ㅤㅤ

今までの私は、どこかで「教える」ことに固執していたのかもしれない。

でもこれからは、もっと多くの選択肢を提供したいんです。

「できないこと」を認めるのは、負けじゃない。

むしろ、誰かを深く救うための「優しさ」の第一歩なんだ。

ケリー先生、最高のお礼をさせてくださいねー。