第82回センバツ出場校エピソード・神港学園 | 目指すは金運の女神様ラクシュミー!

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というか一家の太陽である母として、明るく輝く未来のために自分がラクシュミーと呼ばれるくらいにがんばります☆

ちょっと遅くなったのですが、

開幕前に新聞に書かれていた

出場校のエピソードをご紹介します。



以下、

毎日jp(毎日新聞)より。





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第82回センバツ高校野球:神港学園、復興ボールが守り神 震災の95年、8強の記念

 第82回選抜高校野球大会第3日に出場する神港学園(神戸市)は95年の阪神大震災直後の「復興センバツ」で勝ち取った二つのウイニングボールを「守り神」にしている。06年センバツでは、そのボールに触ってから打席に入った選手が決勝打を放ち、8強入りした。「被災地の復興への思いが詰まったボール。力を与えてくれる」と北原光広監督(56)。震災から15年を迎えた今回も甲子園に携えて行く。【金森崇之】

 ボールは95年の1、2回戦で仙台育英(宮城)と大府(愛知)に勝った際のもの。震災当時、同校野球部のグラウンドや部室に被害はなかったが、部員らは「野球をしている場合ではない」と、がれき撤去などボランティアに取り組んだ。

 練習は不足したが、全国から練習用ボールや励ましの寄せ書きが贈られ、甲子園にも多くの被災者が応援に駆け付けた。北原監督は「被災者を元気づける試合を」と選手たちを送り出し、8強に進出した。

 06年春は8強をかけて成田(千葉)と対戦。両校無得点の七回、一死二塁のチャンスで、北原監督は打席に入る苧坂(おさか)政輝さん(21)=大阪市西淀川区=に対しジャンパーの右ポケットに入れていた二つのウイニングボールを触らせて送り出すと、苧坂さんの打球は左翼を越え、先制点。苧坂さんは九回にもボールに触れてから打席に入り、再び適時打を放った。

 試合は2-0で勝った。苧坂さんは「被災地の思いが詰まったボール。こみ上げてくるものがあった」と振り返る。

 部員らは毎年1月17日、神戸市での追悼式典の設営を手伝う。北原監督は「被災経験を伝えることも私の役割。当時の選手が感じた『野球ができる喜び』を忘れまい」と話す。

毎日新聞 2010年3月18日 大阪夕刊


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そうなんですよね。


あの震災の年、

よくセンバツが開催されたなあと。




被災していない自分には何も言えないかもしれないけど、

しみじみ、

「人はパンのみにて生きるにあらず」

なんだなあと思いましたよ。


もちろん、

野球どころじゃない、

そんなセンバツなんてどうでもいい人もたくさん

おられたことでしょうけれど・・。



復興ボール、

神港学園で今も大事にされているのを知って

とても嬉しくなりました。


これからも大切に受け継がれていきますように。





それと、

神港学園には

こんなエピソードもあるんですね。



以下、

産経関西(産経新聞大阪本社公式ニュースサイト)より。





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センバツ出場 神戸・神港学園 指導者「親子鷹」の挑戦

開幕を前にした甲子園球場での練習で、選手を見守る神港学園の北原直也コーチ(左)=兵庫県西宮市(甘利慈撮影) 21日に開幕する「第82回選抜高校野球大会」(センバツ)で、神港学園(神戸市中央区)の北原直也コーチ(30)は父親の光広監督(56)とともに、「親子鷹」で全国の頂点を目指す。同校の選手として阪神大震災翌年の平成8年夏に甲子園出場し、その後社会人野球に進んだが、JR福知山線脱線事故のために所属する野球部が休部になり、昨年、母校のコーチに就任した。指導者として初の甲子園に直也さんは「一コーチとして監督を支え、勝ち上がりたい」と話している。

 直也さんは震災直後の平成7年4月に父のいる神港学園に入学した。被災を乗り越え同年のセンバツでベスト8入りした先輩部員らにあこがれを抱いて野球部に入部。自身も2年生の時に夏の甲子園大会に捕手として出場した。

 その後法政大学から社会人野球と、父と同じ道を歩んだが、JR西日本に入社して4年目の17年4月、JR福知山線脱線事故が発生。責任を問われた会社にあって、野球部も活動を自粛し、翌年7月に休部が決まった。他チームに移籍する部員もいたが、肩を手術したばかりの直也さんに誘いはなく、家庭を持っていたこともあり、野球をやめて会社に残ると決めた。

 社業に専念していた直也さんだったが、「頭のどこかにずっと野球があった」といい、次第に父と同じ高校野球の指導者を志すようになった。仕事と両立しながら、佛教大学の通信教育部で教員免許を取得。21年4月、母校に社会科講師として赴任した。

 野球部のコーチに就任した直也さんは、社会人野球時代の経験から「たたきつけて強いゴロを打て」という高校野球の常識に異論を唱え、飛距離を出すためにバットを下から振り上げる打撃理論をチームに導入。違和感を訴える選手もいたが、選手が納得するまで解説した。高校通算65本塁打の伊藤諒介選手(2年)は「最初は半信半疑だったが、『縦振り』がものになってきてから飛距離が伸びた」と手応えを感じている。

 就任1年目でコーチとして初めて挑む甲子園。光広監督は「選手の兄貴のような立場から細かく徹底して教えるいいコーチングをしている。打撃指導に関しては任せている」と息子に信頼を寄せる。直也さんは「甲子園は特別な場所。選手には勝っていい思い出を作ってもらいたい」と意欲を見せている。

【写真説明】開幕を前にした甲子園球場での練習で、選手を見守る神港学園の北原直也コーチ(左)=兵庫県西宮市(甘利慈撮影)



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「親子鷹」

(「父子鷹」の方がしっくりくるような・・?)

というと、

東海大相模時代の原辰徳巨人軍監督が思い浮かぶように、

監督と選手、といったイメージがあります。

が、監督とコーチという場合も

もちろんあるんですよね。


様々な夢のかたち。


いい思い出が作れますように。