先日書いた「セレブに見えても満たされない・・・からの」の
記事の続編みたいな感じなんだけど。
唐突に、ものすっご唐突に書きますが、
私ですね・・・、女神なんですよ。
え。女神すか。
はい、女神っす。
(何回も書いてるとゲシュタルト崩壊起こして
ヘンな線の集合体に見えてくる・・・笑)
いや、正確に言いますとね、
人間ですけど。
人間の中身の性質が、現時点で一般の人々に知られているものの存在の中で
「女神」と呼ばれているものに似ている、ということです。
これに気づき出したのは、そうね、関西にきてからだから
10年かそこら前の話なんですけど。
ある集まりに行ったんです。
そこの集まりは、直感の優れた人が何人かいて。
強み発掘というのが流行ってましたが、
個別にそれを見てもらう、もしくは見つけあう会だったと思います。
で、参加者の人がそれぞれ専門の人に見てもらうわけですが、
その見てくれる人の一人がそれぞれにイメージの絵を描いてくれたんですね。
で、私の絵、
なんか「つぶっている目」しかなくて。
確か他の人のは体とかもあったのに。
はいー?と思って解説を聞くと、
「ゆっこさんはね・・・もうねー・・・女神ですー。」
と。
「?????」
ですよ。もうね。
そりゃそうでしょう、いきなりそんなこと言われてみてよ。
さっぱりわからんちゅうの。
で、説明を聞くと、
「とにかく存在が女神だから!そのつもりで振舞っていいから!」
と言われる。
・・・・・・・。
途方にくれたわよ、私。
そのあともずーっと、その意味がピンとこなくて。
それはなんでそうだったかというと
「あなた、すごい人ですよ」って言われてるのか?
いやいや、でもそんな、「誰かが他の人より優れてる」とかいうの、ちゃうやん?
と全力で否定する気持ちがあったから。
で、影でちらっと、
「え?私、優れてるって言われてる?なに、私、人よりすごいの?」
って疑問もくすぶってた。
そこで即座に有頂天になることもできたけど、くすぶったのは
「思い上がっちゃいけない」「わきまえろ」という母の教えによる封印と、
「世の中の人は平等であるべき」(いや、実際平等なんですけど、
女神ってえらいのか?って思ったから、それを認めちゃうと平等じゃないって
言ってることになるから認めるわけにはいかない、って感じかな。)
そんなの認めたら、自分だけすごい人って思うことになって
そんなのブンブンブン、違う違う!って思ってたよね。
私そんな思い上がってませんよー!と。(誰に言い訳してたんだ(笑?)
ま、逆説的にも、そういうことを恐れたってことは
自分で自分のことすごいって思ってたってことなんだけどね(笑
しかも、逆説的だけど、
多分その頃はまだ自分に自信を持てないところがあったから、
そう思いたかったというのもあるんだろうと思う。
でね、そこから10年以上たった今はわかるの。
女神、というのは「キャラ設定」だったのね、ってことが。
多分、生まれる前に、性格とか体つきとか選んでくると思うんだけど
私は、あえてこういうのを選んできた。
体格でいうと大柄だし、割と派手めな外観。
まあ、とにかく目立ってるよね。どこ行っても。
どっか入った瞬間に空気が変わる、とかも言われる。
どこいっても大事にされる。大切に扱われる。一目置かれる。
すんごい立派な場所に行っても、偉い人といても気後れしない。
「雑に扱える雰囲気じゃない」って言われたことある。
いつも「何者?何やってる人?」って聞かれる。
これは、確かに私が持っている「何か」。
(シビアに観察はしてきたのです)
で、なんでそれ持ってるかというと。
(それがわからなくて10年前は迷走したんだと思う)
その「キャラ」を必要とすることをやりたかったから。
最近までずーっと自分を観察してきて、
姉ちゃんにもいろいろ助言されて。
(姉ちゃんは私を『パトラ』と呼ぶ。クレオパトラのパトラね。)
で、みんなにバラバラに言われたことを総合すると
どうも、やっぱり自分は、
「女神の仕事」っぽいものをこの人生でやりたくている、ということに
気づいたんですよ。
ちょっとここで白状しますが、
私は常に、世界に好かれてると思ってます。
(これは前にも書いたよね)
でも、同時に、「世界が幸せであるように」っていうのも
思っているんですよ。
世界が幸せ、って言っても
別に世界平和とか戦争反対とかいうやつじゃなくて。
自分のこの魂は、人間ていう存在で今回この地球にいるから。
その「人間といういち個体の私」が縁あって触れるもの全て、
人もそうだけど、植物、動物、建物、乗り物、吹く風、神様と呼ばれる存在。
触れるもの、見るもの、感じるものみんなですよね。
そんな全てが幸せであるように、と思っている。
自分を観察すると、日々、結構いちいち思ってるんですよね。
喫茶店で飲んだコーヒーカップにありがとう、
お風呂に入って体にありがとう、風呂釜に、シャワーに、風呂場にありがとう、
前を歩いている足が不自由そうな方の体にありがとう。
乗ってる電車にありがとう。今座ってる椅子にありがとう。幸せでいてね。
そんなことを、目に付いたものについていつも言ってる。
結局、世界ありがとう、なんだよね。
で、その感覚がどうもなんていうか
「私の世界の民が幸せであるように」と
思っている感じなんだよね。
これは、解説すると
私の人生を生きているのは私で、
私という人間の脳内スクリーンに写っているものは私にしか見えなくて
だから私に見えているものは私の王国。
神社ですらそこに存在するもの。主役は私。
そんな感じ。
みなさん全て、それぞれの王国があると思ってます。
そこでどんな役割をするかはその人それぞれ。
イメージとしては、それぞれ劇団と劇場を持ってて、
演出もストーリーも全部自分で決められる。自分の役も。
で、今回私の舞台では、主役の女神さま役の私が
他の俳優さんたち、大道具さん小道具さん照明さんと
一緒に舞台を作ってる感じ。
でも、女神が主役の劇もあれば、
下女が主役の舞台もあれば、
冷血な殺人鬼が主役の舞台も、いろいろあって
全部自由。なんだと思うのですよ。
で、私は、「女神役」っていうのを今回希望したみたい。
これまで人に言われたことがいろいろ手がかりになったけど、
他に言われたのは
「ゆっこさんは大仏みたいな存在なので、みんながゆっこさんに会いに来るから
ゆっこさんが動いちゃダメ。大仏が大仏殿にいないと来た人困るでしょ」とか
「ゆっこさんは、それはそれは優雅な、美しいレリーフ模様がいっぱいある『車輪』。
だけど、一個しかない。車輪は一個じゃ動かないのに。
一個しかないから、みんなが動かしてくれる。自分では動けない。
人の手によって動くけど、その時はとんでもない動きをする。飛ぶとか」
とかそれぞれ別の機会に言われたよね。
なんか要するに、自分でガリガリやるんじゃないわけね。
というヒントはもらった。
でも、やっぱり世の中に蔓延する思い込み
「働かざる者食うべからず」
「一生懸命やるから報われる」
みたいな「常識」と呼ばれるものがあって(常識じゃないけどね)、
だからそれでも不器用な中努力したよね。
そう、私ものすごく不器用なんですけど、
植物と通ずる写真を撮ること(写真家なんでね)、
歌を歌って人の心を動かすこと(シンガーなんでね)、
ファッションに関すること(服の変態なんでね)、
料理で美味しいもの作ること(食いしん坊なんでね)、
人の本質を見ること(女神なんでね!)・・・
この5つは、確かにすごいと思う、自分でも。
それ以外、はっきり言ってカス。本当カス以下。なんもできん。
計算も、線を真っ直ぐ引くことも、運転もスキーも水泳も。
(うち、埃だらけですからね。女神、掃除できないんで)
お金稼ぐのも下手。
まあ、確かに、夫やご先祖様から与えられてる環境で、
「生きるために働く」ことをしなくていい環境だから、
ちゃんと女神としての本分をやれってことだなと。
と、いうことが最近、
いろんなパズルのピースがはまるようにわかったし、
しっくり来たわけです。
長かった・・・・ここまで。
(文も長いな笑)
なので。
ここからの人生は、ちゃんと女神に徹しようと思います。
私が渡せるものは、
「その人が自分のことを価値ある存在だと思える、なにか」。
「起こっていることが自分に必要なことだと思える、なにか」。
そんなようなものなんじゃないかな。
「ゆっこさんに会うだけでエネルギーをもらえる」
って言われてきた。
それについて、「?????」と思ってきた。
でも、ここからは、女神の自覚を持って
やっていこうと思う。
思ったことは、ちゃんと現実になっていくから。
で。
あなたも、あなたの作る舞台で、
主役として生きていることを忘れないでね。
なに役がいいと思って、きたんですか^^?
<追記>
アップした後でタイトルを見て、
あ、自分が女神キャラってのは言ったけど
女神として生きるのがなぜつらいか書いてなかったね、と思った。
それについては、また次回のココロだー!
今日ネイル行ってきたのー❤️
バレンタインネイルだよ♪人差し指と親指のでっかい♡、わかるかなー
