母の懐を借りる | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

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写真家でファッションコンサルタントのyukko*です。

わたしは、人は幸せでいるために生きていると思っています。
みなさんにVIVID(イキイキと鮮やかに)に生きてもらうためのお手伝いができると嬉しいです^^

うちの母ちゃんは強い。

ま、昭和ひとケタ生まれだし
強くなくちゃ生きてこられなかったんだろう。

小さい頃は戦争中の苦労に耐え、
結婚したあとは厳しいお姑さん
(私のおばあちゃんですね)のひどいいじわるに耐え、
うちの父の放蕩っぷりにも耐え、

ずーっと耐え忍ぶ人生。

6年前に父を見送り、
今やっと、色んなことが自由になったのに
自分が病気になり身体がままならない。

なんだか母の人生
たぶんずっと怒りを畳み込んで
必死に生きてきたのでしょう。

そんな母、子ども(私たち)のしつけはすごく厳しかった。

母がこう!ということは
その通りにしないと
ものすごく怒られたので

子供心に
姉も私も母を恐れて育ち、
何でも母の言うとおりにしてきたおかげで
成人してもなお判断の基準が

「母はどう思うか?」だった。

笑い話みたいだけどほんとにそうだった。
まあ、礼儀を重んじて丁寧な人だから
社会において「母の基準」を使って困ることはなくて

だからこそ紛らわしくて
いい大人になってもなお
迷ったときに思うのが
「母ならどう判断するんだろう?」という完全なる他人基準。

私が「どうやら自分の考え方と母のそれは違っているらしい」
というのに気づいたのはかなり大人になってからだった。

大人になってから姉ちゃんと話したら
まったく同じ感じ方をしてたらしい。

んで。

気づいてからは
いろんな人に教わりながら
(当時ニューエイジ系のワークショップとかにも行ったし)
自分はどう感じているのかを本当に一から
確認していったのだ。

たぶん当時30歳は過ぎていたんじゃないかなあ。

いろいろびっくりしました。

思いも寄らない考え方を知って
そうか、こんな考え方もあって
それでいいっていう人もいるんだ。ってね。

そしてちょっとずつ
自分がどう感じているのかを感じてみて
ああ、自分ってこういう人だったんだって
気づいたりしました。

そうすると、
それまで母の前では母基準で生きていたから
母にしてみると私が急におかしくなったように見えたらしくて。

きっとみんな中学生くらいで「反抗期」として
そういうの体験するんでしょうけど

私の場合大人になってからの体験だったんで
いちいち「なぬ!?」って
ショックも大きかったし、

大人であったがゆえにいろいろ状況を読んで
動いてしまったんでしょうね~。

で、

どうにもうまく話が通じないために、
しょうがなく母の前では
「母には本音を言わず、母の考えに合わせてふるまう」ことが
当たり前になっていったのでした。

(つづく)←整理のために書いてるから続くのかなほんとに(笑)?