今回は、筑波大学の「女性リーダーのためのカウンセリング実践プログラム」の中での寄り添いサポーターさんによる寄り添い支援の体験(2回目)をお伝えしますね。あとから振り返って生涯発達心理学の世界で何が起こっているかを私なりに分析しました。
1回目の支援体験はこちらです。
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「どうやって生きていくか」――問いの転換
面談の冒頭、私は前回の続きから話し始めた。
以前の私は、「死ぬのが怖い」という気持ちを抱えていた。でも話しながら気づいたのは、それはもう本当の問題ではなかったということ。
死への恐怖は、すでに受け入れている。
今の私が抱えている本当の問いは、別のところにあった。
「どうやって生きていくか」
それがまだ見えていないから、なんとなく焦って生きている感じがする。行きづらいというか、心地よくない。それが今の問題なんだと思う――そう話し始めた。
これは、抽象的な「死」への恐怖から、具体的な「生き方」への問いへの転換だった。
私の語りは、観念のレベルから、実際の暮らし方のレベルへと降りていった。
Erikson(エリクソン)の発達段階論では、成人期以降の課題のひとつを、それまでに立てた答えを問い直し続けることとして描く。人生のある時期に決めたはずのことが、時間が経つにつれてまた問い直される。私が今この問いに向き合っているのも、この発達課題のただ中にいる動きとして見ることができる。
「一致してる感覚があります」――即答の意味
前回の振り返りを続けるうちに、私は「物事を決めるときは、自分の中に問いを立てて決める」という、自分なりの倫理観について話した。
誰かに従うのでもなく、世の中のルールに従うのでもなく、自分で自分に問うて決める。
それをとても大切にしてきたということに、前回気づいていた。
そこでサポーターが、こう聞いてきた。
「その軸が、ご自身と一致しているというところでは?」
一致している。
不思議なことに、私はこの問いに、考える間もなく答えていた。
「あります。一致してる感覚があります」
後から振り返ると、この即答こそが重要だったのだと思う。
頭で組み立てた答えではなく、身体のどこかがすでに知っている感覚に、言葉が追いついただけだった。
Rogers(ロジャース)のクライエント中心療法では、「自己一致(congruence)」を重要な三条件のひとつに位置づける。内的な経験と、外に表れる言動が一致している状態のことだ。この問いへの即答は、まさにこの一致が起きていた瞬間だったのだと思う。
「言語化できない」――矛盾の浮上
けれど、その軸がなぜそうなっているのか、私は説明できなかった。
サポーターに「その一致している以上に、何かあるということですかね」と聞かれたとき、私はこんな例えを口にした。
「右手と左手、どちらかにキャンディーが入っていると言われて、なんとなく右を選ぶような感覚。なぜ右を選んだのか、なぜ左を選んだのか、うまく言葉にできない。私の中の軸も、それと似ている気がします」
問いを立てるのだけれど、その答えを、感覚的に選んでいる。だから、言語化できない。
「寄り添い支援を学んでいるのに、自分の軸をうまく説明できない」
自己矛盾のように感じられた。
すると、サポーターはこう言った。
「言語化する意味って、他者と共有するためだったりする。でも自分の中でそこがきちんと決まっていて、必ず何かあったときに対処できる、選べる、判断できるということがあれば――全然、言葉にしなくてもいいような気がする」
この一言で、何かが緩んだ。
「言語化できない=軸がない」ではなかった。
評価も否定もせず、別の見方を差し出された。
励ましではなかった。
これは認知的再評価(cognitive reappraisal)と呼ばれるプロセスに近い。自己批判的な認知の枠組みを、中立的な枠組みに置き換えることで、自己否定の連鎖を止め、次の探索を可能にする。「そんなことないですよ」と励ますのではなく、別の見方を提示する――その違いが、この後の深い語りを引き出した。
後編では、この「軸」に、唯一の迷いをもたらした経験について書きます。長年、私が自分でも気づかないうちに「完全に蓋をしていた」もの――そこにどう触れることになったかを。
生涯発達心理学等で言われている『木の幹と枝葉』の話をこちらでしてます。
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