今回は、筑波大学の「女性リーダーのためのカウンセリング実践プログラム」の中での寄り添いサポーターさんによる寄り添い支援の体験をお伝えしますね。あとから振り返って生涯発達心理学の世界で何が起こっているかを私なりに分析しました。
「自分がわからない」という混乱の中へ
筑波大学の生涯発達臨床心理学のプログラムで、
傾聴支援のセッションを受けた。
テーマは自己理解としたいと私からリクエストした。
しかし実際に起きたことは、
私が思っていた「自己理解」とは少し違っていた。
言葉が渋滞していた
セッションの冒頭、私はこんなふうに話した。
「価値観の中で一番大事にしているのは精神的な生活だということが出てきて……
でも興味が全く自分に向かっていて、他人に向かっていないんですよ」
「女性の支援をやりたい」と思っているのに、
自分の一番の興味は「精神世界の探求」という内側に向かっている。
その矛盾に気づいて、戸惑っていた。
さらに重なる焦り。
「自己理解をしないと次の一歩が決められない気がするんです」
頭の中に「価値観」「自己理解」「やりたいこと」「女性支援」「人生の再設計」
という複数の問いが、未整理のまま並列していた。
生涯発達臨床心理学では、これを意味再構築のプロセス(meaning-making process)の入口と見る。人生の転換期——仕事を変えた後、大きな喪失の後——に、人はこうした混乱を経験する。Frankl(フランクル)が言うように、まだ言葉になっていないもやもやの中にこそ、意味の種が埋まっている。
「なぜ言語化できないのか」という問い
しばらく話したあと、私はこう言った。
「自分が考えてる自分が、言語化できてない感じです」
するとサポーターはこう問い返した。
「言語化できてないというのは、どうして言語化できていないと思いますか?」
答えを教えてくれるのではなかった。
「なぜ」と問い返すことで、私自身の思考を引き出す。
私はこれを受けて、一気に語り始めた。
「自分を表すべき要素がありすぎて……300あったら、その300個を正確に分析したら 自分っていうのができあがるけれども、
果たして一致するのかどうかすらもうわからなくなる」
一言で自分を表すことへの違和感も語った。
「それは多角形の中の一番目立つところをとって言ってるだけで、
それは私そのものではない」
Rogers(ロジャーズ)の人間中心療法では、「自己概念(self-concept)」と「実際の体験(organismic experience)」のズレが不安・混乱の源になると考える。私が感じた「言語化できない」という感覚は、まさにこのズレの意識だったのではないか。既存の言葉が自分の実感にフィットしていない——その違和感を、私はちゃんと感知していた。
「精神的生活」という言葉への違和感——転換点
セッションの中盤、私は自分の言葉に引っかかりを覚え始めた。
「精神的生活が一番の価値観というのは、ちょっと違うかもしれない。楽しいけど違う」
誰かに指摘されたわけではなかった。
自分で話しているうちに、違和感が出てきた。
そして、少しずつ違う言葉が出てきた。
「一番大切にしたいのは自分の命です。……経験することが大事だって」
「自分の心が動かされたり、もしくは知識を得ることで……
思考が豊かになるような時間をすごくすることが特に大切だし、
まさにそれが私の価値観かな」
「精神的生活」という抽象的な言葉から、
「経験する」「心が動かされる」「思考が豊かになる」という、
より身体感覚に近い言葉へ——言葉が降りてきた瞬間だった。
この変化を、サポーターはすぐに受け取って応答してくれた。
「今ちょっと言語化できましたね……まとまってなくていいから」
「まとまってなくていいから」
この言葉が、私にとって小さな解放だったと思う。
完成した答えを出さなくていい。
プロセスとして語ることへの許可。
McAdams(マクアダムス)のナラティブ・アイデンティティ論では、人は自分の人生を「物語」として構成することで自己を理解すると言う。「精神的生活」という既成の言葉から、「経験し、思考を豊かにしていく」という自分固有の物語言語へ——この移行は、自己概念の表層から核心に近づく動きだった。
(後編へつづく)

