分かってはいても、できる限り頭の隅に追いやっておきたいこと。
それがついにやって来ました。
27日の夜中、父親と永遠の別れをしました。
最期は眠るように安らかに逝ってくれたことが、何より救われます。
因みに死因は肺ではなく全く別のもの。
肺は治療の甲斐あってほぼ治りかけてましたが、死因は胃の壊死。
私の懸念通り医者は肺しか見ておらず、当日の朝に血を吐いたことで初めて胃の異変に気づき、その時はすでに手遅れでした。
誰もが(病院の方も)ビックリな展開で、なんだかなーと虚しさが残ります。
だからと言って医者を恨んでもいませんし、肺が治ることで苦しさからは解放されてましたから、それはそれで良かったと思っています。
ただ「やっぱりね」という思いは離れません。
医療の発達と共に医者はどんどん専門性を求められ、その分野では深くなるのでしょうが、入り口はその分狭くなる。今の医療はそちらに向かいすぎてる感じがします。
熊本から兄も駆け付け、胃の写真を見せられ様々な数値の説明を受けた段階で、延命措置を断りました。
それが父の寿命であり、数日か数週間か生き延びたところで、苦痛を伴いながら命を永らえることを父は望まないと判断しました。
ただ、この判断をどの段階でするのかは素人にはなかなか難しいことかなと思います。
(うちは兄が医者なのである程度判断しましたが)
ところで、不思議なことがいくつもありました。
仕事は、これまであんなに怒涛のごとく忙しかったのに、ほとんどの案件がひと段落してたし、次に動き出す準備をしないといけないのに、どうも気が乗らず、スケジュールは空いたまま。
いくつか入ってたアポイントは、絶対に私でないといけないもは特になく、プライベートの予定は、私が断るよりも先に先方の都合でキャンセルになったり。
そういえば、10月に父が肺炎で緊急入院した時も、偶然たまたま私は帰省してたな。
いやー、私ってツイてる!というか、何だか神様に守られてるような不思議な感覚です。
ありがたやありがたや。。。
そうは言いつつも、失礼させていただいたアポイントはいくつかあり、代わりに会ってもらったり私抜きで打ち合わせてもらったりと、仲間にはたくさん迷惑もかけています。
皆んなに感謝すると共に、支えてくれる人がいる事が改めて有難いと思っています。
さて、いつまでもボンヤリしてられません。
そろそろ、また怒涛の渦に飛び込みます!
※写真は阿部家が檀家となっているお寺。
初めて行ったけど、500年続く立派なお寺でした。本堂は250年前の建築。
