「知らないことを知るのは楽しいことよ」

 

 

わたしは高校生のときに

山田詠美さんの

『ぼくは勉強ができない』に

出てくるこの言葉に出会って以来、

ずっとこの言葉を呪文のように

唱えながら生きてきました。

 

 

新聞配達をしながら

大学に通っていた時も、

 

 

就職先の配属が

縁もゆかりもない大阪になり

不安に押しつぶされそうになったときも、

 

 

大阪生活に慣れたと思ったら

東京で秘書に異動という

びっくり人事があったときも、

 

 

そして出産を機に退職し、

自分の子どもが生まれるわくわくと

不安が入り混じっていたときも。

 

 

自分の人生が変わるタイミングで、

新しい世界に飛び込む不安が

じりじりと訪れるタイミングで

その言葉は降りてきて、

そうだ!知らない世界を知ることは

楽しいことなんだ!

自分に言い聞かせながら

変化の波を泳いできました。

 

 

おかげさまで

なんとか無事に、波に呑まれず溺れずに

32年(もうすぐ33!)生きてこれました。

 

 

そしてこの言葉に出会ったことで

「言葉の素晴らしさ」に気づいて

文学部に進学し、

将来は文学に携わる仕事がしたい!と思い…

 

 

…まぁ夢は叶っていませんが

すっかり読書がライフワークになり、

今もこうして読書、文学と共にある

生活を送ることができています。

 

 

前置きが長くなりましたが

つまり山田詠美さんは

わたしの人生に、自分の人格形成に

かなり大きな影響を与えてくれた

作家さんなんです。

 

 

そんな方が「自伝的小説」を出されたと知って

どんな人生を送ってこられたのか

めちゃくちゃ知りたい!!と思い

書店で見かけて即買いしました。

 

 

『私のことだま漂流記』は

山田詠美さんが自身の半生を

振り返りながら綴られた

自伝的小説です。

 

 

転勤族で友達づきあいがうまくいかず

本の虫だった幼少時代から

挫折を味わった漫画家時代、

そしてブラックミュージックや

ブラザー(黒人男性)との出会い、

数々の恋愛を経て

生まれて初めて書いた小説で作家デビューし

その後人生の半分以上を費やすことになる

濃密な作家人生について描き込まれています。

 

 

山田さんがデビューしたのは

バブル時代のど真ん中。

 

 

見た目がバブリーになりつつも

結局は「大和撫子」的な女性がよしとされていた

なんだかんだ保守的な時代のなかで

ファンキーな外見と振る舞いで

文学界を賑わせた山田さんでしたが、

 

 

山田さんの内面には

幼少期から培ってきた文学少女の要素と

(国語の教科書を読み通すのが趣味という

文学少女っぷり・・!)

両親の影響による勤勉な会社員的要素があって

 

 

それらが見事に化学反応を起こして

『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』

『放課後の音符(キイノート)』

『ぼくは勉強ができない』

などの傑作が次々と生み出されたのでした。

 

 

『ソウル・ミュージック〜』と

『放課後の音符』は

同じ作家さんが書いたの!?と驚くぐらい

ぜんぜん雰囲気の違う作品で

何があったのだろう?と

長年疑問に思っていたのですが

 

 

急な方針変更というわけではなくて

山田さんの文学少女の一面が

あらわれていたのか・・!と

本書で謎が解明されてスッキリしました。

 

 

そして山田さんのどの作品にも

共通しているのは

「明日死ぬかもしれない」という

“ことだま”が埋め込まれていること

かもしれないと思いました。

 

 

明日死ぬかもしれないのだから、

今日というかけがえのない日を大切にし、

そして自分自身に嘘をつかず、

自分にとって大切なものを見失わないように、

今感じている思いを精一杯受け止める。

 

 

そういうスピリットが

山田詠美作品の根底にあるのだろうと

本書を読んで強く思いましたし

 

 

だからこそ

山田詠美作品のキャラクターは

みんな凛々しくて、

弱いところもあるけれど素直で、

自分の気持ちに嘘がつけなくて、

そして大切な人に対してとことん愛情深くて、

 

 

つまり読んでいて惹きつけられる人たち

ばかりだったのだろうと思わされました。

 

 

本書で山田さんの内面を垣間見て、

改めて山田詠美作品のキャラクターのように

凛々しくて、素直で、愛情深くて

カッコいい魅力的な人間になりたい、

できる限りそうありたいと強く思いました。

 

 

そして本書のなかで

ハッとさせられたのが

小説を書くことについて

山田さんが語られた一節です。

 

 

「小説を「根も葉もある嘘八百」と言ったのは佐藤春夫だったか。ここでの「嘘」とは、でっち上げのことではない。小説家が自分だけの言葉を自在に駆使して作り上げた世界を意味している。それは、ほとんど虚構に見えるだろう。けれども、それを支えているのは作者の真実という根であり、そこから吸い上げられた水や栄養が、才能という葉っぱを繁らせているのである。

どんな壮大な物語にも、その芯には作者自身がいるし、小さい話には小さいなりに魂が宿っている。」(18ページ)

 

 

山田さんは小説という

フィクションのなかにも

作者自身の「真実の根」が

植えられているとおっしゃっていて、

 

 

その「真実の根」という言葉に

無性に心が惹きつけられました。

 

 

小説家や書くことを仕事にしている

人に限らず、誰だって

「ちょっと盛った話」や

「ちょっとしたフェイク」を入れた

話をすることはあって、

 

 

その言葉には

その人なりのリアルがあって、

その人の経験や価値観が

「真実の根」として植えられていて

 

 

その人が話すことが

事実とちょっと違うことが

あるかもしれないけれど

うそかまことかをジャッジするのではなく

その人の「真実の根」を信じて

その人の「物語」を受け止める

べきなのだと思わされました。

 

 

自分が「本当にそうだったの?」と思っても

だれかにとっての「真実の根」を

安易に否定してはいけない。

 

 

というか、むしろ

結局「本当のリアル」はどこにもなくて、

みんながみんな自分の物語として

ものごとの一面を語っているにすぎなくて。

だけどそれがまったくの嘘というわけではなくて。

 

 

わたしたちが読者や聞き手となったときには

安易にジャッジせず、まず受け止める姿勢でいる

ことが大事なのだということを

改めて強く思いました。

 

 

『戦争は女の顔をしていない』や

『戦争と平和』で描かれている

戦争当事者の声に触れて以来、

ずっと考えさせられてきたことが

山田さんの一節を読んで

改めて強まりました。

 

 

 

 

 

 

「本当のリアル」は結局どこにもないということ、

他者の物語を否定しない姿勢であることは

今後の読書やアート鑑賞、

すべてのコミュニケーションにおいて

大事なことではないかとも思います。

 

 

人の争いのタネは

物語の解釈の違いから

はじまっているように思いますし・・

 

 

わたし自身のことに置き換えれば

夫と争う(言い方w)ことが多かった昨年を反省して、

 

 

今年は大切な人の言葉を信じて、

そして「一面を語っているにすぎない」のだから

自分の物語を押し付けすぎないようにして

夫婦円満な一年にしていきたいと思います。

 

 

ブログの締めが夫婦関係の話になってしまった・・

本書には山田さんの結婚生活も書かれていたので

共通項があると思って開き直ります!

 

 

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