能meetsブログ特別企画
番外編③ 能の道具 其の五
今回のテーマは 「読む」
こちらは文(ふみ)
和紙を張り合わせて作られています。
「七行半」と決まっているそうです。下の画像でわかりますね。
こちらが使われる曲はたくさんあり「熊野」「小督」「花筐」「鞍馬天狗」
などです。
文はいわゆる手紙です。
勿論「ある人の思いをある人に届ける」という役割を果たします。
「熊野」(ゆや くまのではありません。お能のタイトルは普通に読むと間違うものがたくさんあります)
では、病気の母が遠くに離れた娘に、散る桜になぞらえ自分の命の短い事、そして一目でいいので会いたいという思いを伝えます。
能では、その母は舞台に登場しません。その手紙を娘である熊野(人の名前だったとは!と、最初に知った時は驚きました。しかも女性。)が読む事で、登場人物ではない「母」の姿をお客様が想像します。
今は手紙でも、その他書面でも横書きが多いですが、当たり前ですがこの文は縦書きです。
そして右から左に読んでいきます。
先生にちょっと実演していただきました。
こちらは文の読み始めですね。
林本:
能の中でも「思いを伝える」役目の文はキーワードですから、装束の準備をする時も忘れる事はあまりありません。
しかし、ある曲に関しては、文を忘れることが多々あり、恥ずかしながら私も一度薪能で忘れてしまい、コピー用紙で慌てて作って事なきを得ました。
なぜ忘れるかというと、「シテが持つことがない」からなんです。
大体の演目では我々シテが使用する為の文です。
「小督」ではシテの源仲国が携えますし、先程例に挙げた「熊野」ではツレ朝顔がシテ熊野に渡します。
しかしこの薪能の日の演目は、実は最初狂言方が持って登場し、ワキに渡して、後はこのワキがそれを持ったまま退場します。
つまり、我々シテ方が使わないので、つい準備をする事を失念してしまいます。
小道具によってはワキだけが使用するものですがシテ方が準備する事があります。その時は本当に気を付けないといけません。
その曲名がなんだったのか…は、あえて仰らなかったのでここは後で調べてみようと思います。
こちらは巻物
巻物と聞くと、忍者というイメージが沸きますね。
こちらも文と同様、文字が書いてあるものなのですが、どういう区別でされているのか明確な定義はないそうです。
「海士」「大会」では経巻として表現され、「盛久」では、今まさに処刑される盛久が経巻を広げ、観音経を唱えていると、処刑人の太刀が折れ命が助かります。
私の勝手な感想だと、文より巻物の方が立派なものの気がしますね。
時代背景によっても違うのでしょうが、今では巻物に何かを書くという事がほぼないのでそう感じるのかもしれません。
文を出される、巻物を出される。
想像すると…受け取り方にも違いが生まれるのかもしれませんね。
「三読物」という言葉が能にはあるそうで
「安宅」の勧進帳、「正尊」の起請文、「木曽」の願書。
この3つは非常に難解な謡と言われています。
いずれも「読む」場面です。
この中で巻物は「安宅」
「正尊」と「木曽」は文です。
「安宅」は、主君義経の命を助ける為、勧進帳など持っていないのに、さもそれが存在するかのように読み上げる。
「正尊」は、土佐坊正尊が、義経暗殺の謀略を見破られ、それをごまかす為に神仏に誓う誓約書を読み上げる。
「木曽」の願書は、平家の横暴に立ち向かう為、神のご加護を願う書面です。
「安宅」「正尊」は、「偽り」の心。
「木曽」だけが唯一「真」の心ですね。
また、文、巻物に共通して言える事は「戻すのが難しい」のだそうです。
文は読んだ後に畳む。巻物も読んだ後は巻き直す。
実はこれが大変だそうです。
なんでもないように思ってしまいますが…
林本:
まず手元が見えません。そして衣装の袖が邪魔をする。
文の紙質によっては柔らかいと動いてしまって畳むのに時間がかかります。それでも、慌てないで直せる時間的に余裕のある曲ならば大丈夫ですが「安宅」や「大会」のように、この謡までに巻物を巻き直すというのは、しっかり稽古しておかないと難しいものです。
なるほど、直接小道具を見ることが出来たり、衣裳も現代の物であれば問題ないんですが、お能の場合は色々と制約がありますね。
ここで気になったのですが、文や巻物に実際に字が書いてあることはないんでしょうか?
ドラマなどではリアルであるため本や手紙はまず何かしらかいてありますね。現代演劇ではまちまちです。演出や役者によって変わります。
書いてある場合もあるし、書いてない場合も。
時には、全く別の事が書いてあるものを小道具として使う事もあるそうですが、お能の場合は
「書いては駄目ですね。本当に読んでしまうと写実になるので。」
なるほど。
何も書いていない事が決まりだそうです。
演劇のジャンルにリーディングや朗読劇と呼ばれるものがあります。
立つ、座る、動くなど、形式は様々ですが本を持って舞台に立つことが朗読劇の定義ですが、それも読んでいるうちに頭のスピードと読む目のスピードが違って返って難しいという話も聞きます。
朗読劇は「読む事を見せる」というひとつの形なんですが、ただ単に「本読み」になってしまっては面白くありません。観ている側をいつしか持っている本込みで作品世界に引き込む面白さと難しさがあります。
そういえばお能の「安宅」は本来何も書いていない巻物を、さも勧進帳であるかのように読み上げる、ことが見せ場ですね。
書かれていないものを、お客様に対してや、時には演者に対して書かれているように読む。
そもそも、演じることも「書かれた本(台本)」から始まっています。
なんだかそう考えると「読む」ということひとつを取っても興味深いですよね。先生が今回「読む」のテーマでくくられた意味を色々と考えるとまた面白い見方が出来そうです。
林本:
あと、印象深いのは「鉢木」で、恩賞を与える書状に文を使います。
ワキの時頼が、義理に厚いシテ佐野常世に心打たれて、土地を守るという内容の書状を渡すのですが、その渡し方がいかにも能らしいといつも思います。
いずれ能meets北浜でも取り上げるつもりです。
このお話は実際に、そのあらすじを聞いて所作を見せていただいたのですが
えーーーっ!!!
と、なりました。
是非とも皆さんにも直接感じて頂きたい面白さです。
次回は、道具を一旦中断してお世話になっている杉江能楽堂の事務局伊地知さんと先生との対談をお届けしたいと思います。






