柳家花緑さんのfacebook見ていたら、滋賀県能登川町で講演とある。午前中京都にいるが、時間的距離的に行ける!と思ったら、
即行動。ボクも「多動性」を自認している。
講演テーマは「自分にとっての発達障害」。
花緑さんは、小学生の頃、字が読めないから勉強についていけず、注意力散漫で、授業中に気を散らす問題児だった。
識字障害、多動性障害があるとわかったのは、10年ほど前のこと。ボクも小学生の頃、毎年通信簿に「落ち着きがない」と書かれ続けた。気が散って注意力散漫な症状は、今もある。
花緑さんは、書かれた文字を脳が認識し、言葉として理解するのに、時間がかかる。文字が並んでいるのを見るだけで魔法の呪文のようらしい。「たしなみ」が「たのしみ」に見える。「田町」に行くつもりが「町田」に行ってしまった。下血して医者に行き、問診票に「痔」とかけず「侍」と書いた。古典落語の「芝浜」を演じたあと、色紙を頼まれ「浜松」と書いた。
そんな混同、錯覚は数知れない。
ただ、疾患ではなく「個性」。障害ではなく「特性」。
多様性を「ふつう」と認める社会になればいい。
出来ないことを責めずに、出来ることを褒めたら、「個性」は伸びる。花緑さんはそんな風に思っているということを、かつて、ボクもこのブログに書いた。
この日は、落語抜きで講演だけの2時間。
花緑さんの熱弁に、多くのメッセージがあった。
●「努力」の「努」には「奴隷」の「奴」が入っている。
努力は自分からのアクションではない。
「必死」。必ず死ぬ。語感がよくない。
頑張れは「我を張る」だけ。がんばれは人を追い込み追い詰める。「頑張れ」の反対語は「感謝」。頑張っていると、目の前にあることに気づかない。感謝していると目に見えないものにも目が向けられる。「有難う」は入口。「感謝」は行動。
ボクも、きょうの日程に有難うを言いながら、行動出来ることに感謝して、能登川町までやってきた。
●「いちばん」はない。「くらべない」
●幸せは追い求めるものではない。幸せは気づくもの。
すでに幸せの中にいるのに、幸せを探すのはおかしい。幸せになりたいと言っていると神様は「不幸な出来事」を起こし、幸せを実感させる。幸せは氣づくもの。大切なものは「氣づき」でしか得られない。
●「愛」という字は、「受」の真ん中に「心」。心のままに受け入れる。感謝と愛は不可分。愛がないと、発達障害は受け入れられない。
●人生は神様が決めたシナリオ通り。
自分が認めていない人生はない。
終演後、楽屋に伺ったら、花緑さん、そんなに驚かなかった。
「なんだか似ている人がいると思ったら、村上さんでしたか!」



